「光る君へ」では平安時代の強い女性たちの活躍が印象的ですが、先日の放送回では吉田羊さんが演じる一条天皇の生母藤原詮子が、甥の伊周でなく、弟の道長を関白道隆の後任にするように、一条天皇に強要する場面が出てきました。

東三条院像(真正極楽寺蔵、江戸時代) Wikipediaより

ただし、その理由は、伊周は横暴で天皇の意を汲まないが、道長なら出しゃばらないとか言う平凡な理屈でしたし、一条天皇の決断はナレーションで誤魔化したので、ちょっとがっかりでした。

また、道長の第二夫人の源明子さんは、舅の兼家を父である源高明の仇として呪い殺した怖い女性だということになっています。

さて、彼女たちがどこに住んでいたかを『地名と地形から謎解き紫式部と武将たちの「京都」』(光文社知恵の森文庫)に掲載した地図で説明しましょう。

藤原詮子は父親の邸宅であった東三条殿に住んで東三条院と呼ばれていました。東三条殿は、いまの御池通の西洞院と新町通のあいだの北側にありました。

平安京北東

ただし、この事件のころは、現在の仙洞御所の場所で藤原道長が源倫子と住んでいた故源雅信(宇多源氏)の土御門殿に居候していましたが、これも詮子が道長を推す伏線になりました。

東三条殿復元図 Wikipediaより

源明子が住んでいたのは、東三条殿の御池通をはさんで南側にあった源高明の旧邸である高松殿に住んでいました。