昨年10月期の連続テレビドラマ『セクシー田中さん』(日本テレビ系)で、原作者の意向に反し何度もプロットや脚本が改変されていたとされる問題。過去にフジテレビのドラマでも同様の問題が起こり、原作者が漫画連載の終了に追い込まれていたことがわかった。1997年にフジで放送された『いいひと。』(制作:共同テレビ・関西テレビ)で、制作サイドは原作漫画の作者、高橋しん氏との間で取り交わしていた、主人公のキャラクターや設定を変えないという条件を破り、改変して放送。これを受け高橋氏は「多くの読者の方に悲しい思いをさせてしまった」(高橋氏の漫画制作事務所「高橋しん・プレゼンツ」公式サイトより)ことに対し責任を取るかたちで、当時「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)で連載中だった同作の連載を終了させていた。日テレだけに限らずテレビ界全体に広がる原作改変の問題。背景には何があるのか、業界関係者の見解を交え追ってみたい。

『セクシー田中さん』の制作にあたっては原作者の芦原妃名子さんは、ドラマ化を承諾する条件として日テレ側に、必ず漫画に忠実にするという点や、ドラマの終盤の「あらすじ」やセリフは原作者が用意したものを原則変更しないで取り込むという点を提示し、両者の合意の上でその旨を取り決めていた。芦原さんが1月にブログなどに投稿した文章によれば、何度も大幅に改変されたプロットや脚本が制作サイドから提出され、終盤の9〜10話も改変されていたため芦原さん自身が脚本を執筆したという。芦原さんは29日、栃木県内で死亡しているのが発見された。

 この問題は、数多くの原作モノの作品を制作する映画界も重く受け止めている。30日に行われた日本映画製作者連盟(映連)の新年記者発表会で、松竹の高橋敏弘社長は「原作の素晴らしさを生かすことが大前提。今後もそのようなことがないように我々も気をつけることが原則」と発言。東宝の松岡宏泰社長は「原作者の意向を尊重して、いかに映像化するか。その考え方がぶれることはない」と語った。

過去にも同様の問題

 原作が改変されるという問題は以前からテレビ界に広く存在していた。『セクシー田中さん』を制作した日本テレビでは、22年に放送された『霊媒探偵・城塚翡翠』で、原作の改変に原作者が難色を示し、途中で原作者自ら脚本を執筆することになったといわれている。当時、原作者である相沢沙呼氏はX(旧Twitter)上に<四話、脚本をまるっと書かせて頂きました>(同年11月6日)とポストしていたが、相沢氏は今回の『セクシー田中さん』の問題を受けX上で次のようにポストしている。

<約束通りにしてもらうこと、原作を護るためにしたこと、そうした諸々の奮闘が『揉めてる』『口出し』『我が儘』みたいに悪く表現されたときが凄く哀しかったし、契約の縛りで実際になにがあったのかを言えないのは本当にしんどくて、自分が悪者になったような気持ちに陥ったのを思い出しました>(1月30日)

 そして、フジテレビでは前述のとおり原作漫画の連載が終了に追い込まれるという事態まで起きていた。『いいひと。』は1993年に「ビッグコミックスピリッツ」で連載が開始され、97年にフジが同作を原作とする同名ドラマを放送。全話平均視聴率20.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録する大ヒットとなったが、制作サイドによる原作の改変に原作者は頭を悩ませていた。ドラマ放送の翌年に漫画連載は終了となったのだが、当時、高橋氏はその理由について「高橋しん・プレゼンツ」公式サイト上で次のように説明していた(以下、原文ママ)。

<終了を決めた直接のきっかけは、テレビドラマ化でした。関西テレビ・共同テレビのかたにドラマ化の許可を出すための条件の中に、ゆーじと妙子だけは変えないこと、という一文がありましたが、多くのかたが感じたように、ゆーじは変え「られて」いました。私は、もうこれ以上わたし以外の誰にも変えられずに、読者の方々の中の「いいひと。」を守ること、そして同時に多くの読者の方に悲しい思いをさせてしまった、その漫画家としての責任として私の生活の収入源を止めること、その二つを考え連載を終了させようと思いました>

<ごく一部の不誠実なひと以外のドラマスタッフの方々の、良い作品を作ろうとの思いに対して、またその結果うけられた多くの視聴者の方々の支持には心から祝福いてします。また、一部の週刊誌で報道があったようにテレビとの間にいざこざがあったわけではありません(笑)。最初に約束があり、結果的に約束が守られなかったから、約束通り原作を降りた。それだけのことだったんです。関西テレビのプロデューサーのかたから読者の方に対して、「現場が走りすぎたのを押さえることが出来ませんでした。申し訳ありません。」と言う謝罪の言葉も編集部を通してうけとっています。重ねて、一番の責任者である、私からも謝罪いたします。「皆さんと作った大切な作品を守れなくて、申し訳ありませんでした>

 その高橋氏は芦原さんの訃報を受け、X(旧Twitter)上に次のようにポストしている。

<もちろん契約書や覚書き等の整備、エージェントや弁護士さんを立てて作家自身が矢面に立たなくてもいい様な仕組みなど今すぐ取り組み考えるべきことはあります。トラブルになってからの仕組みは大事です。同時に、信頼を担保できる、前を向ける仕組みも大事と思うのです。作家と他のメディアは本来対立する立場ではないからです>

<不幸なのは作品が変えられることではなく 作品が失敗することではなく 作品が作家の痛みを自分たちの痛みとして感じられない人に委ねられるそう感じさせてしまう事です>

 ドラマ制作スタッフはいう。

「日テレとフジが特にこのような体質だというわけではなく、実情はどの局も同じ。20年くらい前までは、コンプライアンスの意識の低さも手伝ってテレビ局では『視聴率のために原作を変えるのは当然』という考えがまかり通っていて、改変した脚本を原作者に確認もしないまま勝手に放送まで持っていくケースも珍しくなかったようだ。現在では基本的にはどの局でも『原作者の合意なしで改変したものを放送しない』というルールが存在する。今回の件では日テレが批判されており、制作サイドの進め方に一定の落ち度はあったのかもしれないが、最終的には原作者の同意が得られたプロットと脚本に基づいて制作されたものが放送されており、その基本線は守られている。

 こうした問題が繰り返される背景には、原作モノのドラマの場合、原作者と脚本家の間に原作の出版元である出版社とテレビ局が入るため、やりとりの過程においてお互いの意図が正確に伝わりにくいという問題がある。『セクシー田中さん』の件でいえば、原作者がここまで厳格に原作に忠実であることを要求しているという事実が、十分に脚本家に伝わっていなかったと考えられる。稀ではあるが、作品によっては脚本づくりの過程において原作者と脚本家が直接やりとりをするケースはある。だが、そうすると多岐にわたる利害関係を調整しなければならないテレビ局の制作サイドによるコントロールがききにくくなる可能性もあるため、局としては『間に入っておきたい』という事情もあるし、原作者と脚本家の意見が対立した場合の緩衝材になるという役目も発揮できる」