静岡県知事の川勝平太が辞職表明の際に引用したのが、「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」で有名な細川ガラシャ辞世の句である。
人生の最後を美しく終えることを日本人の死生観とすれば、服部が本書のインタビューで筆者に説明した一節は、独裁に苦しめられながらも社会の底辺でしたたかに生き抜こうともがく中国人の人生観ではないか。
そして中国で生まれてから27歳で日本に帰国するまでの人生前半こそ、敗戦国日本を背負い、地を這いつくばって苦労に苦労を重ねた服部の生き方と重なるのである。
「敵とまず交われ。交わらねば敵の情報は得られない」
念願叶って帰国し、その後トヨタに採用された服部。しかし、苦しめられ、嫌悪の対象でしかなかった中国共産党統治下の中国で叩き込まれた毛沢東思想は、服部の骨の髄まで染み込んでいた。
憧れの日本に降り立った服部は、日本人から見れば日本語の流暢な中国人であったのかもしれない。トヨタの元会長である奥田碩、現会長の豊田章男から高く評価され中国で辣腕を振るいながらも、決してトヨタという組織には収まることのなかった服部。
社内では変わり者扱いされ、決して馴染もうとしなかった異端児の服部は、二人の威光を存分に活用しながら独自のルートでトヨタの中国進出を強力に進めていったのである。しかし、だからこそライバル会社とも頻繁に接触して情報交換に励んだその手法は社内で危険視され、敵も多かった。服部にとってトヨタは誇りでありながら、決して安息の場所ではなかったのである。
服部は、並みのサラリーマンではなかった。大きな業績を上げたレジェンドでありながら、都内の温泉施設で館内着姿のまま筆者に応対する風変わりな男である。日中どちらにも精通しながら遂に居場所を見つけられなかった怪物は、毛沢東時代を彷彿とさせる統制で支配を強める現在の中国を、一体どのように見ているのであろうか。
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提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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