目次
当時の実用性における限界まで背を高くした、トールワゴン
商用車的なボディ後半処理で、実用性を極める

当時の実用性における限界まで背を高くした、トールワゴン

「屋根は高くしたいけどデザインが…」なんて言ってられないピンチがチャンスに?広い車内に吹いた神風、マツダ 初代デミオ【推し車】
(画像=一見すると「ロールーフのありふれたハッチバック車」だが、後席を倒せば自転車が乗るくらい広い、驚異的な実用性!,『MOBY』より 引用)

初代デミオの全高は、ルールフレール装着車でも最大1,535mmと、既に登場して軽自動車に革命を起こしていた初代ワゴンRや、そのフォロワーである初代ダイハツ ムーヴ(1995年)といった軽トールワゴンには全く及ばず、せいぜい「セミトールワゴン」です。

しかし1990年代とは、現在のように空き地を見つけてはショピングモールがそこら中に作られていたわけではなく、コンビニ以外では街中へ買い物に行き、「タワーパーキング」に止めるのが主流の時代でした。

国民に自動車が行き渡るモータリゼーションの進展に伴い、大都市の都心部はもとより、ちょっと郊外の商店街でも土地の空きがなければ、客寄せのために必要だよねと気軽に建てられていた、タワーパーキング。

後に商店街の「シャッター通り化」が問題になると、空いた土地にコインパーキングを作れば済むようになりますが、1990年代はまだそこまでいきません。

そして、1990年代前半までに作られたタワーパーキングのほとんどは、「全高1,550mm」を収納する車両の限界としており、1980年代までは贅沢品とされて普及しなかった3ナンバー車ですら収納不能なケースが多かったものです。

その名残もあって、日本では現在も「自動車の背が高いか低いかの境界線は、1,550mm」となっていますが、初代デミオはその限界を突いたという意味で、「実用限界まで背を高くしたトールワゴン」でした。

商用車的なボディ後半処理で、実用性を極める

「屋根は高くしたいけどデザインが…」なんて言ってられないピンチがチャンスに?広い車内に吹いた神風、マツダ 初代デミオ【推し車】
(画像=テールゲートは垂直に近く、立派なリアクォーターウィンドウで後側方視界も良好と最低限の開発コストで最大の使い勝手を極めた,『MOBY』より 引用)

ただし初代デミオの全長はわずか3,800mm、ベース車のオートザム レビュー(1993年)とはホイールベースともども同一で、バブル崩壊後の経営悪化で存続すら危ぶまれた当時のマツダは、これを大幅にイジくり、たとえばリヤオーバーハングを伸ばす余裕もありません。

最低限のコストで最大限の実用性を生み出すにはどうしたらよいか…「テールゲートを垂直に立ててルーフをギリギリまで伸ばすという、商用車的な処理」が、当時のマツダに可能なギリギリの対策でした。

その頃のハッチバック車といえば、リヤバンパーに近いテールゲート下部こそ垂直にするものの、リアウィンドウは強く寝かせてクーペ的なスタイリッシュさを求めるのが常識。

中にはそういう「実用性よりデザイン重視の5ドアハッチバック車だけど、ブームだからワゴンを名乗った」、初代スバル インプレッサ スポーツワゴンの例もありましたが、ステーションワゴンでも「商用車じゃあるまいし」とデザイン重視だから許されました。

しかし初代デミオのテールゲートは、商用1BOX車のように垂直に立てられた結果、ボディ後半部のスペースはコンパクトカーとしては驚異的に広くなり、前後シートを寝かせてフルフラットにすれば車中泊すら容易、後席を倒せば荷物を大量に積める空間を生んだのです。

この「テールゲートを垂直に立てる」という手法は、軽トールワゴンなら初代ワゴンR以前にも、ライフステップバンや三菱 ミニカトッポ(初代1990年)で実用化されていましたが、コンパクトカーの大ヒット車ではデミオが元祖と言ってよいでしょう。

初代デミオが「コンパクト・トールワゴンの始祖」と言えるのは、その一点にあります。