「役者であることを核に、生きる意義としての“欲”を原動力にし続けたい」|俳優・窪塚洋介
(画像=『男の隠れ家デジタル』より引用)

目次
■“役者”であることを叩き込まれた10代の頃
■転落事故を経て復帰しながらも、苦しかった10年余

かつての人気テレビドラマでの強烈な個性や、レゲエDeeJayとしての活動などを通し、ヤンチャなイメージを抱いている人は多いかもしれない。いま、40代半ばとなった窪塚洋介さんは確かにヤンチャだ。だが強固な芯を持ちながらも自由に柔軟に、心が求めるものを追い続けるという意味において、だ。

近年は役者のほかにも日本酒プロデュースなどさまざまな活動を展開する窪塚さんに、その思いの源泉ややすらぎの時間などを、居心地のよいバーでお酒など楽しんでもらいつつ伺った。

【プロフィール】俳優 窪塚洋介
1979年5月7日生まれ。神奈川県横須賀市出身。1995年俳優デビュー。2001年公開映画『GO』で第25回日本アカデミー賞新人賞と史上最年少での最優秀主演男優賞を受賞。2017年公開『Silence-沈黙-』(マーティン・スコセッシ監督)でハリウッドデビューを果たし、2019年にはBBC×Netflix London制作の連続ドラマ『Giri/Haji』でメインキャストを演じるなど、海外にも積極的に進出。2024年4月からWOWOWで放送・配信される『TOKYOVICE』Season2にも出演。映画を中心に国内外問わず多数の話題作に出演し、舞台をはじめ音楽活動やモデル、執筆と多彩な才能を発揮。自身のYouTube番組やゴルフウェアブランドのプロデュースにも注力している。

■“役者”であることを叩き込まれた10代の頃

「役者であることを核に、生きる意義としての“欲”を原動力にし続けたい」|俳優・窪塚洋介
(画像=『男の隠れ家デジタル』より引用)

小さい頃、芸能界は漠然とした夢でした。俳優もタレントも歌手も芸人も区別なく、なんとなくテレビで観る世界に憧れていましたね。それで母からの縁で紹介された芸能事務所に16歳から所属したんですが、そこがゴリゴリの役者系で。演技というものを厳しく叩き込まれました。素直だったんでね(笑)、俺はタレントでも歌手でもなく役者なんだと肝に銘じました。おかげで早くからさまざまなドラマや映画に恵まれました。その頃は役者はミステリアスであるべきだと教わっていたので、20歳くらいまではプライベートは出さずにいましたね。

でも、自分は本来そういうタイプではないんです。いろんなことに挑戦したいし、オープンでいながら底を見せないのが本当のかっこよさじゃないかと。それでだんだんレゲエを歌ったりファッションブランドのモデルをしたり。作品の中で与えられた役に完璧になりきれるなら、プライベートを出すことも恐くないと思えるようになりました。

本も何冊か出してますが、個人的なことをどんどん書いています。言葉は好きですね。10代から、心に刺さった言葉をノートに書き留めていました。漫画や哲学書、映画、目にした広告、知人の言葉……。もともと母や祖母がよく格言など言っていたんですよ。「人間万事塞翁が馬」とか。言葉の力って生きていくうえで如実に力を発揮するものだと実感してきました。言霊というものも確かにあると思いますし。実家にあるノートはもう何十冊か。今はスマホに入れていますが。そんなさまざまな言葉を咀嚼して、自分の核といえるものができてきたんだと思います。最新の『窪塚洋介の人生攻略本』も、そうやって熟成させた思いの結果かも。もちろん人としゃべるのも大好き。母からは「口から生まれてきた」とよく言われてましたね(笑)。

■転落事故を経て復帰しながらも、苦しかった10年余

「役者であることを核に、生きる意義としての“欲”を原動力にし続けたい」|俳優・窪塚洋介
(画像=『男の隠れ家デジタル』より引用)

マンション9階からの転落事故は……。いまだにどうしてそんなことになったかわからないんです。前後の記憶もない。ただ、あれがあってよかったと今は思っています。こうして必ず聞かれ、武器にもギャグにもなる。いろいろ形を変えながら今の力になっています。

でも事故後の10年間くらいはきつかったですよ。プライベートで初めて会う人にも「自殺とかじゃないんです」と言い訳から始めないとならない。会った人と最初から普通にフラットにしゃべるという行為を渇望し続けていました。役者をすることやレゲエを通して少しずつ戻していった感じですね。

完全に戻れたなと感じたのは『沈黙―サイレンス―』(2017)の出演からでした。

実はテレビドラマには21歳くらいから見切りをつけていました。当時のヒップホップではフェイクという言葉が鋭い批判として使われていました。多感な時期、自分は本物でいたいという気分とシンクロし、テレビ番組作りのさまざまな配慮や熱量の低さが残念だし、楽しくないなと感じて。だから事故後も映画と舞台でやっていました。

『沈黙―サイレンス―』のオーディションは僕自身の準備不足もあって1回目は落ちているんです。けれどマーティン・スコセッシ監督はその後もキチジロー役を探し続けていたそうで、3年後、2度目のオーディションに呼ばれ、そこで決まりました。

憧れの監督のもとでの撮影中はずっと夢の中にいるようでしたね。大きな役をもらえてうれしくて、台湾での撮影は振り返ればけっこう苛酷でしたが、その間ずっとつらくも苦しくもなく、ただただ幸せでした。持っているものを全てぶつけることができました。この作品を経て、引け目なく人に会えるようにもなりました。

今は映画と舞台だけにはこだわっていません。配信ドラマも自由で面白いことができていますしね。地上波ドラマにも久しぶりに出演しました。