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堅実で真面目な作りが評価されたものの、相次ぐ不幸
改名、そしてビッグマイナーチェンジで細々と

堅実で真面目な作りが評価されたものの、相次ぐ不幸

「期待されるも最後は“燃えた”クルマ」ダイハツ最後の?オリジナルフラッグシップサルーン・アプローズ【推し車】
(画像=リアウィンドウごとガバっと開く「スーパーリッド」が最大の特徴 出典:flickr.com Author:Niels CC BY 2.0,『MOBY』より 引用)

アプローズは一見すると独立トランクがある3BOXの平凡なノッチバックセダンで、左右ヘッドライト間を細い開口部でつないだフロントマスクがちっと個性的でスポーティかな?と思う程度の見た目。

しかし実はリアウィンドウ周りごと大きく開き、広い開口部を持つ5ドアハッチバックセダンという変わったクルマで、こうした「4ドアセダンに見えて実は5ドア」というクルマはヨーロッパ車の一部に見られますが、日本車ではかなり珍しいものです。

ファストバック(リフトバック)やステーションワゴンのように荷室を広げるわけではないものの、開口部が広ければ通常のトランクより便利ですし、後席を倒してトランクルーム(というか荷室)を広げるならば、なおさら。

ダイハツでは台湾で現地生産していた2代目シャレードのセダンでこの一見4ドアセダン、実は5ドアの「スーパーリッド」を試しており、アプローズでは満を持しての投入でした。

後にチューニングされて4代目シャレード・デ・トマソにも転用される1.6リッターSOHC16バルブエンジンや、内外装の虚飾を省き実用性の高いデザイン、全体的な質感は自動車メディアにも評価されており、いずれ知名度が上がれば販売も上向くと期待されたものの…

販売年の10月にまずATやオルタネーターのリコール、それもアプローズを出展した東京モーターショー1989一般公開初日に発表と、間の悪いタイミングで届け出を出して酷評され、翌月には給油中に吹き返したガソリンに引火炎上し、とどめに走行中の出火事故。

一般メディアに「燃えるクルマ」と酷評されたところへさらにリコールが相次ぎ、どうしようもなくネガティブなイメージがついてしまったのです。

改名、そしてビッグマイナーチェンジで細々と

「期待されるも最後は“燃えた”クルマ」ダイハツ最後の?オリジナルフラッグシップサルーン・アプローズ【推し車】
(画像=1997年のビッグマイナーチェンジで大型メッキグリルやヘッドライト周りにもメッキを使うなど加飾を施した 出典:flickr.com Author:Rutger van der Maar CC BY 2.0,『MOBY』より 引用)

久々のフラッグシップモデルが、こんな「黒歴史」になる運命だったとは、誰が予想できたでしょうか?

それまでスズキと並び立つ軽自動車メーカー、それもどちらかといえば堅実で地味、筆者のような変わり者のファンを除き、クルマ好きから話題に上がる事すら稀なダイハツが、独自のフラッグシップセダンを作っていた事すら知らなかったユーザーは、多かったでしょう。

ようやく知られてみれば、立て続けにリコールと火災事故を起こすクルマだったのは致命的で、設計のツメや品質管理に甘さがあったと言われても仕方がありません。

それでも、日本での評判と関係ない海外ではソコソコ売れたらしく、ヨーロッパのコーチビルダーがスーパーリッドを外してワゴン化するキットを販売したり、洋画を見ていると中東某国で主人公が借りたレンタカーがアプローズ…なんて事もありましたが。

日本でも評判をどうにかすべく、1990年10月には「アプローズθ(シータ)」と改名し、1992年には車名を戻しフロントグリル変更などデザインを変え、1997年には大型フロントグリルに前後メッキバリバリの堂々たる姿に。

しかし型式(FFがA101S、4WDがA111S)を見れば分かる通り、中身はそのままデザイン変更を中心としたマイナーチェンジで、どうにかイメージチェンジを図りながら少しでも開発費用を回収すべく、2000年まで細々と売り続けていました。

自他ともに認めるダイハツファンの筆者も、1998年に訪れたダイハツディーラーで「どうです新型アプローズ!」「マイナーチェンジ?いえいえモデルチェンジですって!」とオススメされた日には、コメントに困って苦笑いするしかなかったものです。