日本製鉄が実現を目指す米USスチールの買収。秋の米大統領選で対決するバイデン大統領(民主党)とトランプ前大統領(共和党)がともに反対の意向を表明し逆風が吹くなか、米国規制当局の反対により買収が不成立となった場合に日鉄がUSスチールに5億6500万ドル(約800億円)もの違約金を支払う取り決めがなされていることが注目されている。なぜ日鉄はこのような条件の設定を認めたのか。専門家の見解を交えて追ってみたい。

 粗鋼生産量ベースで国内1位、世界4位の日鉄は昨年12月、USスチールを2兆円で買収すると発表。だが、その直後から買収成立に向けてさまざまなハードルが現れる。同月にはUSスチールをはじめとする米国鉄鋼企業の従業員で構成される全米鉄鋼労働組合(USW)、さらにはトランプ氏が買収に反対を表明。今月にはバイデン大統領も反対を表明し、米国規制当局の対米外国投資委員会(CFIUS)も厳しく審査するとみられている。

 背景には11月に行われる米大統領選挙がある。製造業の衰退が進む「ラストベルト」と呼ばれる米国中西部・東部のウィスコンシン州、ミシガン州、オハイオ州、ペンシルベニア州は大統領選の激戦区となっており、多くの製造業従業員が加入するUSWをはじめとする労働組合は保護貿易主義が根強く、外国資本や輸入品の流入に反対の姿勢をみせている。そのため、労組の支持を得るためにバイデン、トランプ両氏ともに日鉄によるUSスチール買収には厳しい姿勢を示す結果となっている。このほか、米国以外でも各国の独占禁止法違反に関する審査で承認を得る必要がある。

 米国を代表する企業と評されるUSスチールだが、現在ではその存在感は薄い。かつては粗鋼生産量世界一を誇っていたが、日本や欧州、中国などアジア勢の攻勢を受け、現在では米国国内で3位、世界では27位と大きく地位は低下している。

「日鉄が欲しいのはUSスチールが持つ生産効率の高い電炉と鉄鉱石の鉱山。収益の安定化と環境配慮型の次世代製造技術には自前で良質な原料を調達できるルートが不可欠。また、米国市場は鉄鋼の利益率が高く、買収によってUSスチールが持つ販路・シェアを手っ取り早く獲得できる。アジア市場では中国市場でダブついた鉄鋼が低価格で流通していくと予想されており、中国の影響を受けにくい米国市場に足場を築いておきたいという狙いもある」(自動車メーカー関係者)

巨額M&Aの不安要素

 19年に日鉄の社長に就任した橋本英二社長の下で、同社が売上高・利益ともに世界トップレベルに浮上すべく積極的な経営方針を貫いていることも、今回の買収の背景にはあるという。

「橋本社長はかねてから『総合力世界一』を口にしており、粗鋼生産量や売上高に限らず利益率の向上も重視している。21年には長年にわたりトヨタから言い値で納めさせられてきた同社向けの鋼材をめぐり、トヨタに大幅な値上げを要求し、供給を停止する姿勢も示して値上げを認めさせたことは業界内でニュースとなった。このように日本市場での利益率改善に取り組むとともに、米国で欧州アルセロール・ミタルと共同で電炉を稼働させたりと、海外市場のシェア拡大にも注力するなど、積極的に攻めの手を打っている。USスチール買収もその延長線上にある話だ」(同)

 日本企業による海外企業の巨額M&Aには不安要素も大きい。典型的な失敗例とされるのが、2006年の東芝による米原発大手ウエスチングハウス(WH)の買収だ。買収額は6000億円にも上ったものの、17年にWHは破綻し、東芝は経営危機に追い込まれたことは記憶に新しい。13年、ソフトバンクは米携帯電話会社のスプリント(のちのTモバイルUS)を約1.6兆円で買収したが、目立った相乗効果を出せないまま20年に株式を売却し、米国の携帯電話事業から事実上の撤退をした。このほか、19年に完了した武田薬品工業によるシャイアーの買収(6.2兆円)も、その評価は分かれるところとなっている。

「2兆円の根拠は詳しくはわからないが、日鉄がUSスチールの保有する製鉄所や鉱山などの資産、業績などを詳細にデューデリジェンスした結果としてはじいた額なので、日鉄にとってはそれだけの価値があるということなのだろう。気になるのが直近のUSスチールの株価ベースで約4割のプレミアムを上乗せした買収金額になっている点だ。USスチールの買収をめぐっては米国内外の複数の鉄鋼企業が応札していたと伝えられており、その過程で金額が跳ね上がった可能性も考えられる」(金融業界関係者)