■金門橋から身投げした面々
いずれにせよゴールデン・ゲート・ブリッジは人々の自殺のホットスポットとしてますます悪評が高まっている。
1937年の運用開始初年のゴールデン・ゲート・ブリッジから飛び降りて命を落としたと最初に報告されたのは47歳の船員、H・B・ウォバー(47歳)である。
1937年8月8日、橋の通行人に向けたウォバーの最後の言葉は「私が進むのはここまでです」というセリフだった。

その後、橋では何百人もの自殺者が続出し、1973年9月には 498人目と499人目の犠牲者がわずか数時間以内に自ら命を絶ったと「LAタイムズ」は報じている。
498人目は55歳の社交界の名士で、ゴールデン・ゲート・ブリッジのそれほど高くないガードレールを乗り越え眼下の冷え切った海に飛び込み死亡した。そのわずか2時間後、499人目となる若い男性も同じ運命をたどったのだ。
おそらく最も衝撃的なケースは、1973年10月9日に飛び降り、下の岩の上で死体となって発見された500人目の犠牲者である。伝えられるところによると、テレビクルーはこの物騒な出来事を予期し、テレビカメラを準備して橋に張り込み飛び降りを待っていたという。
案の定、この日に腰の高さのフェンスを飛び越えて転落死したのは、26歳の病院技師スティーブン・ホーグだ。彼の母親はその夜のニュースで彼の自殺を知った。
一方で飛び降りたが生き残った人々が36人いる。そのうちの1人、ケビン・ハインズ氏(当時19歳)は2000年9月25日、40分近く橋の歩道を歩き続けた後、高さ4フィートの柵を飛び越えた。
「手がレールから離れた瞬間、一瞬で後悔した」と彼は英紙「Daily Mail」に語っている。
彼は脊椎と足首を骨折したが、奇跡的に生き残った。現在41歳のハインズ氏は講演家、作家として自らの体験を物語る活動をしている。

「ブリッジレール財団(Bridge Rail Foundation)」によると、1937年の開通以来、1800人以上がゴールデンゲートブリッジから飛び降りたと考えられている。
「CBS」の報道によると地方行政は2017年になって初めて、橋の両側の歩道の20フィート下を通る鋼鉄製ケーブルのネットで構成される自殺防止柵の敷設工事を開始したという。今年末までに完成する予定で、多くの命を救うことが期待されている。“自殺の名所”の汚名が返上される日が近いことを望みたいものだ。
参考:「Daily Star」、「Unclycopedia」ほか
文=仲田しんじ
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提供元・TOCANA
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