足りないものは物資ではない……?
昨年の熊本地震発生時に「なぜ避難所に食料が届かないのか?」でも書いたが、工場の生産で使われるボトルネックとリードタイムという考え方を理解すれば、中途半端な支援がかえって邪魔になることが分かる。
ボトルネックとは言葉通り、ビンの口で細くなっている部分を指す。ビンをひっくり返しても一瞬で全ての中身が出ていくことは無い。口が小さければ中に入った水が出ていくスピードは口の細さに「制約」を受ける。
全国から大量の支援物資を九州まで送ることは簡単だが、それを被災者の手元まで届けるには膨大な手間が発生する。必要なものを必要な分だけ仕分けしてそれぞれの地域に割り振り、配送しなければいけないからだ。自然災害の発生時には道路が通れる状態かどうかも分からず、今回の大雨でも車で行き来できない状況があちこちで発生している。
そして支援物資の輸送ではたいていの場合こういった仕分け作業や現地までの輸送が制約=ボトルネックとなる。足りないのはモノだけではない。
県庁や市庁が支援物資であふれかえる一方で、物資が足りないと嘆く被災者がいる理由は上記のとおり仕分けがボトルネックとなるからだ。
昨年の熊本地震では支援物資を運んできたトラック運転手が荷物を下ろすために何時間も待たされた、という話があった。これはその時点で必要なものがすでに物資ではなく、荷物を下ろす、整理する、被災者のもとに運ぶ、といった人手や輸送のためのトラックへと変わっていたことを意味する。空っぽのトラックで駆け付けた方がよっぽど役に立つ可能性があったということだ。
熊本地震の時もそうだが、多少混乱しても良いからとにかく支援物資を送れ、という指示は現場を混乱させてかえって被害を拡大させる可能性が高い。災害発生時に必要なものは支援物資だけではない。
何かをやるには終わるまで時間がかかる、という当たり前の話。リードタイムは作業に着手して終わるまでにかかる時間を指す。復旧支援でいえば必要な物資の要請を受けて、それを被災者に届けるまで、ということになるだろう。
これもリードタイムがどれくらいなのか理解されないまま「今紙オムツが足りません!」という数日前の情報に基づいて支援をしようとすると、紙オムツだらけになった状況にさらに紙オムツを送ってしまい、他の支援物資の輸送の邪魔をしてしまう、という状況を生む。
この記事を書いている時点では、一般人からのボランティアや支援物資の受け入れが出来る状況ではないようだ。善意で何かをしたいという人には不快な話かもしれないが、善意が迷惑になってしまっては不本意だろう。それでも何かをしたい、というのは迷惑を顧みない自己満足に過ぎない。
自衛隊並みに自力で完結するだけの支援能力を持っていないのであれば、節約をしながら募金の開始を待つ、くらいの対応で十分だ。ボランティアであれ支援物資であれ、被災地で役に立たないことは「ゼロ」ではなく「マイナス=迷惑」であることを認識すべきだろう。
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中嶋 よしふみ FP シェアーズカフェ・オンライン編集長 保険を売らず有料相談を提供するFP。共働きの夫婦向けに住宅を中心として保険・投資・家計・年金までトータルでプライベートレッスンを提供中。「損得よりリスクと資金繰り」がモットー。東洋経済・プレジデント・ITmediaビジネスオンライン・日経DUAL等多数のメディアで連載、執筆。新聞/雑誌/テレビ/ラジオ等に出演、取材協力多数。士業・専門家が集うウェブメディア、シェアーズカフェ・オンラインの編集長、ビジネスライティング勉強会の講師を務める。著書に「住宅ローンのしあわせな借り方、返し方(日経BP)」
編集部より:この記事は「シェアーズカフェ・オンライン」2023年1月1日のエントリーより転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はシェアーズカフェ・オンラインをご覧ください。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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