石川県の地震を受けて
元旦の16時10分頃に石川県で震度7の地震が発生した。大津波警報も出ている。17時の時点で被害状況は詳しく分かっていないが、大きな被害が発生する可能性もある。

1月1日16時頃の石川県の地震の状況 日本気象協会HPより
この記事は2017年に発生した福岡県と大分県の大雨と土砂災害を受けて7月7日に執筆、掲載したものだ。内容は自然災害で発生する支援物資やボランティアに関する問題を経済学や工場の生産管理の視点から分析した記事である。これは現時点でもそのまま通用する。
FPとかウェブメディア編集長を名乗るような素人は引っ込んでろと言われてしまいそうだが、この記事は掲載時に多数のアクセスを集め、防災を専門とする大学教授の小村隆史氏より「極めてまともな指摘」「この種の問題提起を(自分も含め)防災研究者が、メディアの目に留まる形で出来ていないことへの自戒を込めつつ、シェアさせてもらいます」というコメントを頂いた。
また「『援助物資は被災地を襲う第二の災害である』というのは、我々の業界では常識なのですが、しかし、そのことは世間の常識にはなっておらず、未だにメディアの『○○が足りません』報道がなされています。力不足を思うのみ、です。」ともコメントをしている。
詳細は記事を読んで頂ければと思うが、被災地支援を考える際の参考にして頂ければと思う。
■
7月5日から数十年に一度といわれる大雨が福岡県、大分県で発生し甚大な被害となっている。電気や通信網などのライフラインも途絶え、一部では連絡すら取れない状況だという。
土砂崩れによって流木が押し寄せ、死者と行方不明者も発生しているが、九州北部では8日にかけて大雨が続くと予想されている。
こういった大災害が発生し、悲惨な状況が各種メディアで報じられるたびに、現地へボランティアに行こう、支援物資を送ろう、と考える人がいる。そして無秩序なボランティアや支援物資の輸送はかえって混乱するからやめるべき、という冷静な対応を求める人も現れる。
ボランティアに行きたい人や支援物資を送りたい人からすれば善意を否定されたようで不愉快になるだろう。役に立てなくても非常時に理屈を言ってる場合じゃない、とにかく何かをするべきだ、と考える人もいるかもしれない。しかし、自治体等が正式に呼びかけるまでボランティアも支援物資も不要という意見が正しい。
これはビジネス的な発想で考えるとわかりやすい。
「無駄な支援」が「必要な支援」を圧迫する。経済学の考え方に「機会費用(きかいひよう)」というものがある。何かを選ぶことは別の選択肢(とそこから得られるメリット)を捨てること、という意味だ。
辞書等よりもウィキペディアでわかりやすい説明があったので、引用したい。
『機会費用は、希少性(使いたい量に対して使える量が少ないこと)によって迫られる選択に際して生じる。「そのことをすると、他のことがどれだけ犠牲になるか」計算するものを機会費用(機会コストとも言い)と呼ぶ。つまり、一つのことをすると、もう一つのことをするチャンスがなくなることである。 出典:ウィキペディア・機会費用のページより』
希少性とあるように、災害支援ならば現地への限られた貴重な輸送インフラをいかに効率的に使うか?という視点が必要になる。
無駄になってもいいからとにかく必要そうなものを送ればいい、という考えが間違っている理由は明確だ。災害によって極めて細くなっている現地までの輸送インフラを、必要かどうか分からないものを送ったり、役に立つか分からないボランティア希望者が占有すべきではない、ということだ。
つまり、仮に役に立たなくても良いから困っている人がいるなら支援をしたい、という考えで物資を送りボランティアに行こうとする人が多数いると、結果的に役に立つはずの支援を邪魔してしまう可能性がある。
これは災害発生時に現地へ電話をしないように、という話と同じだ。被災しているかもしれない家族や友人への電話が殺到することで災害支援に必要な連絡の邪魔をしてしまう。
災害からの復興には、善意による募金、ボランティア、支援物資は無くてはならないものだが、やり方を間違えると役に立たないどころかかえって復旧の邪魔をしてしまう。これは機会費用の事例として普段から使えば浸透するのではないかというくらい、復興支援で重要な考え方となる。
メディアは軽々しく「必要な物資」を公表すべきではない。7月6日の報道ステーションでは被災している現地に飛んだリポーターが手書きのフリップに現在足りていないものを書いて、テレビを通じて視聴者に伝えていた。どういった意図によるものかわからないが、これも報道機関として絶対にやめるべきだ。
昨日の報道を見て、現地に支援物資を送ろうと考える人もいたかもしれない。ランダムに送られた物資が復旧支援の邪魔になってしまう可能性があることはすでに書いた通りだが、現地で必要とされる物資は刻一刻と変わる。
必要性・緊急性の高いものであればすぐに調達される可能性も高い。するとテレビで報じられた「一番必要なもの」はすぐに満たされ、「二番目に必要なもの」に使われるべき輸送インフラを、すでに不要となった物資の輸送で埋め尽くしてしまう。
メディアが現地で必要な物資、足りていない物資を伝えることは慎重に行うべきだ。これはSNS等で拡散される「○○市で紙オムツが足りていない」といった情報も同様だ。大量にリツイート・シェアされることで、過剰な物資が現地に届く可能性がある。それは結果的に他の物資が届くことを邪魔してしまう。
機会費用の説明にあるように、被災時に物資を送るインフラは極めて貴重なリソース(資源)であることを理解すべきだ。
被災地で支援物資が使われないまま山積みになる理由。以前は自分も、せっかく送られたオニギリ等の支援物資が被災者に届けられないまま腐っている、物資が山積みのまま放置されている、といった話が報じられるたびに一体どうなっているんだ?!と腹を立てていた。しかし現実にはモノを適切に届けることは極めて難しい。これはロジスティクス、日本語では兵站(へいたん)といって、元々は軍事用語で戦争の勝敗を左右するほど重要で難しいとされている。
トヨタ自動車はジャストインタイム生産方式と呼ばれる手法で、必要なモノを必要な分だけ必要なタイミングで生産し、無理・無駄・ムラを無くして経営効率を高めている。そのようなことを非常時に、しかも専門知識も経験もない自治体職員が出来るはずもなく、少なくとも現状では混乱が起きるのはある意味当然の状況だといえる。
自衛隊が災害支援で力を発揮するのは隊員だけで移動、救助から自身の食事まで完結するだけの設備があり、訓練も受けているからだ。訓練を受けず、統率も取れていない、指揮をする人もいない人がボランティア希望者として殺到すれば、被災者を助けるどころか自らが被災者になってしまったり、被災者にわたるべき食料等が消費されて迷惑になってしまう可能性がある。
結局素人によるボランティアや支援物資の輸送をやめろという話は、手短に説明すれば「役に立たないだけならまだしも、被災地で迷惑をかけるくらいなら何もしないで大人しくしてることが最大の復興支援ですよ」ということになる。