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走りだって本物!…ではありましたが、当時は二の次
キャラバン隊も登場!いかにもバブルな販売キャンペーン
走りだって本物!…ではありましたが、当時は二の次
S13シルビアは、「古臭いプラットフォームにオシャレなボディをかぶせただけのクルマ」だったわけではありません。
1990年代に技術No.1を目指す「901運動」から生まれた最初のクルマであり、リアには新開発のマルチリンクサスペンションを採用したほか、プレリュードの機械式4WSより走行性能に優れた電子制御4輪操舵機構「HICAS-II」をオプション設定。
エンジンはその型式こそ先代S12後期と同じ1.8リッターの「CA18」系でしたが、トップグレードのDOHCターボにはインタークーラーを追加し175馬力へパワーアップした「CA18DET」、自然吸気版もDOHC4バルブ化した135馬力の「CA18DE」でした。
トップグレードの「K’s」にはターボ、標準グレードの「Q’s」には自然吸気エンジンを搭載、他に自然吸気で装備が簡素な競技ベース「J’s」もありましたが、AT車もあってワンメイクレース向け以外では実質廉価グレード(※)。
(※J’sはS13末期に廃止され、中古車でもほとんど見かけない…なお、K’s、Q’s、J’sというグレード名はトランプからの命名で、そんなところもオシャレ)
走りのよいスポーツクーペという一面も見せてはいたものの、どちらかかといえば「優雅にデートを演出するための、スムーズで余裕のあるキモチイイ走り」だったと言えるでしょう。
後にドリフトだレースだと硬派の走り屋グルマとなるのは、姉妹車の180SXともども安い中古車が数多く出回った時に、「もうそれしか(小型FRスポーツクーペが)なかったから」というだけで、S13シルビアの本質ではありません。
キャラバン隊も登場!いかにもバブルな販売キャンペーン
歴代シルビア市場最大のヒットとなった名車S13がどんなクルマだったかを象徴するのが、発売と同時に発表された「キャラバン隊」の存在と、専用ショールームの開設です。
生産される九州工場を発売翌日に出発する「キャラバン隊」は、日産の20代男女による若手社員約90名で、3台が九州一周、10台が福岡、広島、大阪、名古屋と北上して東京本社へ至る、計2チームで編成。
途上ではシルビアを扱う日産サニー店と日産モーター店に立ち寄って、太宰府の絵馬と色紙を贈呈(販売祈願か?)、大阪の生駒サーキット(現在のスポーツランド生駒)で「日産アドベンチャーランドフェア」に参加するのが、唯一スポーツカーらしいところでしょうか?
これがまず「動くショールーム」で、さらに発売から約1ヶ月半後の1988年7月6日には、東京の南青山で専用ショールームの「ニッサン・シルビア・スクエア」をオープン!
古いクルマ好きならピンと来るかもしれませんが、南青山3丁目の「246Club」には社会現象となるほどの人気を誇ったパイクカー、Be-1のブランドショップ「Be-1」ショップが開設されており、1988年5月までのBe-1販売終了後に跡地を有効活用したもの。
当時の日産は、ここで「その時期のイチオシ車」を紹介する贅沢な単一車種ショールームを2ヶ月ローテーションで開設する事にしており、第1号がS13シルビアでした(※)。
(※2ヶ月後の第2号が初代セフィーロの「ニッサン・セフィーロ・スクエア」)
ただ1車種、それもデートカーがメインのスペシャリティクーペのためだけに、ここまで贅沢な販売キャンペーンをやったのは、「バブル時代だからねぇ…」としか言いようがありません。