一週間ほど前、バンクーバーで最大級の不動産開発会社の副社長からある件で会合を求められました。二人で2時間、話し込みましたが、彼が放った言葉は「もっと昔に知り合っていればよかった」と。なぜ彼にそう言わしめたのでしょうか?巨大会社の副社長の目線、部下の都合の良い仕事や報告に対して私は実務に沿ったより現場目線に近い本当の解を提示したからです。

昨夜、あるプライベートパーティーに招かれました。そのホスト役の方はクリスマスのオーナメント(飾り付け)を世界展開している創業者です。その彼が私にこういうのです。「売り上げが30億や50億円に達したけれど、そこから先がどうしても増えない。それは個人向け販売だったからだ。ここを変えて法人向け卸を始めたら一気に開花した」と。

30人くらいのパーティーでしたが、あるユダヤ人の方と不動産を生業としているということで話がはずみます。「君は何を持っているんだい?」という話ですが、私がその方に聞き返すと「物件は70ぐらいある」と。一桁違う規模でした。つまり、圧倒する刺激なのです。別世界に入り込んだ時、「自分には縁がないから」と思うのか、「良いアイディアとよい人脈ができた」と思えるのかでまるで違う印象になります。そしてこの世界はギブアンドテイク。つまり双方が持ち合わせているよいものを披露しあうことで自分も相手もより接近してくるのです。そんな社会は残念ながら日本にはあまりないのです。

カナダには様々な背景の方々がいます。私はいわゆる上のクラスの方とも接点はありますが、学生や30歳前後の将来を模索している方々ともまんべんなくお付き合いします。それは自分があまり凝り固まらないためにずっとかき混ぜているようなものなのです。まるで生コン車のコンクリートが固まらないようにずっとかき混ぜているように、です。

61歳になった今でも学生や20代の若者と上から目線ではなく、対等に話ができる、そして彼らの言い分を聞く、そういう意識をしています。かつては「そうじゃないだろう…」と言いたくなった時もあったのですが、最近はそれを封印しているのです。すると不思議ともっと人が集まってくるんですね。

最近お会いした日本の方は私と同じ年齢。しかし、気持ちが若いのです。それはその方も第一線でバリバリ仕事をして、毎日緊張と刺激の中で日々を過ごされているからです。自分の足で立っている、というのがより近い表現でしょうか?この方もそうなのですが、「尖っている」のです。何かに秀でているのです。だけど、どの人も尖り方が違うのでどれがどうこう言う話ではないのです。そこまで極めたプロセスの話、ビジョンを聞き、共鳴し、一緒に笑い、語らい、熱い握手を交わす、これが私がカナダで31年かけて学んだことです。言うまでもなく最高の恵みなのです。

では今日はこのぐらいで。

編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年12月11日の記事より転載させていただきました。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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