自然塩(塩田塩)存続運動
こうした状況に対して、愛媛県在住の菅本フジ子氏をはじめとした5人の有志が、従来の塩田製法による塩を食する選択肢が必要だと立ち上がり、自然塩(塩田塩)存続運動を開始した。こうした運動は全国に広まり、各地の消費者・団体の協力によって短期間に5万人の署名を集めた結果、1973年に“厳しい生産上の制約”のもと、国から生産販売委託の認可が下りることになった。
厳しい生産上の制約の詳細については後述するが、いずれにせよ、イオン交換膜製塩法以外の塩を日本で製造・販売できる条件が整ったわけである。同年、伯方塩業が愛媛県伯方島に設立され、塩田の塩を手本に、“にがり”をほどよく残した「伯方の塩」が誕生した。名前の由来は、「伯方島の塩田を復活させたい」という多くの人の願いを象徴したものとなっている。設立に際して、1口10万円の無担保、無保証、無期限の「塩による出世払い」で出資を募り、たちまち数百万円が寄せられた。