世界各地で語り継がれている“巨人伝説”だが、その中でも群を抜いてユニークな存在であるのがパタゴニアの双頭の巨人「カプ・ドワ」である。そのミイラ化した遺体が一時期見世物にもされていたこの伝説の巨人を検証してみたい。
■パタゴニアの双頭の巨人“カプ・ドワ”の物語
パタゴニアの双頭の巨人の伝説は、大航海時代のポルトガルの探検家、フェルディナンド・マゼランの旅にまでさかのぼる。
旅の途中、マゼランの一行は南米の海岸に立ち寄り、内陸部へと探検の旅に出た。パタゴニアに上陸した彼らは、常人の2倍の身長の原住民に遭遇したといわれ、この地の“巨人族”の存在が語られるようになった。実際にこの地域の先住民族であるテウェルチェ族(Tehuelches)が当時の平均的なヨーロッパ人よりも背が高かったのだ。
この高身長が誇張され、パタゴニアは巨人の国であるというヨーロッパの長年の神話につながった可能性があり、伝説の双頭の巨人である「カプ・ドワ(Kap Dwa)」のストーリー誕生の下地になったと考えられる。

カプ・ドワの起源については2つの相容れない物語がある。
最初の報告によると、カプ・ドワは1673年頃にパタゴニアの海岸でスペインの船員によって捕らえられ、船に連れて行かれてマストにロープで縛り付けられたという。
カプ・ドワはなんとかロープを振り解いて逃げようとしたのだが、気づいた船員たちとの小競り合いの最中に刃物で胸を突き刺されて殺されてしまった。長い船旅の過程でカプ・ドワの遺体はミイラ化し、19世紀にイギリスに運ばれ、その後アメリカに送られた。そこでは見世物小屋やフリーク・ショーの目玉として展示され多くの観客を魅了したのだった。
もう1つのストーリーでは、この双頭の巨人は海岸で発見されたとき、胸を槍で突き刺されてすでに死亡していたという。パラグアイの原住民がこの驚くべき遺体を偶然発見してミイラ化し、聖なる崇拝の対象として宗教的な儀式で奉るようになったという。
この奇妙な巨人崇拝の話を聞いたイギリスの船長、ジョージ・ビックルがパラグアイに潜入して首尾よくミイラを盗み出し、イギリスに持ち帰ることに成功したという。そしてこの双頭の巨人のミイラは興行師の手に渡り、見世物興行の呼び物となったのだ。
