2月に半導体受託製造の世界最大手、台湾積体電路製造(TSMC)の第1工場が開所する熊本県の菊陽町で、バブルと地元企業の人材確保難が同時に発生しているとして注目されている。菊陽町には第2工場も建設される見通しとなっているが、地元経済にとってTSMC工場の設置は良い影響と悪い影響のどちらが大きいのか。専門家の見解を交え追ってみたい。
TSMCとソニーグループ、デンソーが出資するTSMC子会社・JASMが第1工場に投資する金額は約1兆2700億円であり、日本政府は最大4760億円の補助金を出す。さらに投資額が2兆円規模になるとみられる第2工場に政府は約9000億円を補助する意向であり、政府の補助金は総額1兆円を超える。第1工場では回路線幅12〜28ナノメートル(ナノは10億分の1)の半導体を、第2工場では7ナノメートル相当の半導体を量産する。
巨額の投資を受け、早くも菊陽町の経済は沸いている。27日放送の情報番組『情報7daysニュースキャスター』(TBS系)によれば、一昨年まで農地だった場所に5棟のマンションが建設されたり、総工費50億円の菊陽町総合体育館などが建設されたりし、バブル経済が到来しているという。
一方、弊害も生じている。第1工場だけで従業員数は約1700人(24年末の量産開始時点)にも上るが、JASMが大卒の初任給を周辺地域の相場より4割も高くして募集していることに象徴されるように、パート従業員などについても高い賃金を設定。地元の企業や工場では、人手がTSMC工場に流れ人材確保難に陥ったり、人件費高騰によって経営が圧迫される懸念が浮上。『ニュースキャスター』によれば、工場内の清掃業務が時給1500円、食堂が時給3000円で募集されるなどし、周辺地域の企業や店舗では「時給合戦」が展開されているという。
あくまで参考だが、昨年6月時点で公開されていたTSMCグループ関連企業の求人情報は以下となっており、好待遇であることがうかがえる。
・勤務地:熊本県菊池郡菊陽町原水3802-14
・給与:350万円~1500万円
・休日:土日祝 年間123日 ※ポジションによりシフト休み有
「これまで数多くの地元企業に分散して就職していた九州の大学や工業高校の卒業生が、TSMC工場にごっそり流れてしまい、地元企業が人材確保難に陥る懸念もある。キオクシアと米ウエスタンデジタルが22年に三重県四日市市に稼働させた工場や、韓国サムスン電子が横浜市に開設する半導体研究拠点など、近年では政府が外資系企業の国内拠点に多額の助成を行うケースが増えている。外資系企業の拠点は概して周辺の企業・工場より賃金が高くなる傾向があり、熊本で起きている問題は今後、他の地域でも出てくるだろう」(全国紙記者)
良い影響のほうが大きい
今回のTSMCの工場設置が地域経済におよぼす影響は、良い面と悪い面のどちらが大きいのだろうか。第一生命経済研究所経済調査部首席エコノミストの永濱利廣氏はいう。
「明らかに良い影響のほうが大きいだろう。というのも、そもそも日本経済が長期停滞を続けてきたのは、安い賃金で人を雇える企業が存続できる環境にあり、賃金の停滞が続いてきたこと。このため、安い賃金で雇われていた労働力がより高い賃金を得られる環境にシフトできれば、地域全体で物価と賃金の好循環が起きることが期待され、そうした賃金環境を求める形で人材の流入も期待される。
とはいえ、周辺自治体の企業等には負の影響も出るため、そうした企業のグループ化を進めて賃上げできる環境を整えやすくしたり、人手不足が深刻な企業に対するデジタル化投資の支援、吸収型のM&Aに対する優遇などの政策的なてこ入れも必要だろう」
(協力=永濱利廣/第一生命経済研究所経済調査部首席エコノミスト)
当サイトは23年11月2日付け記事で、政府がTSMC工場建設に1兆円超を補助する目的などについて報じていたが、以下に再掲載する。
――以下、再掲載――
世界最大手の半導体ファウンドリー、TSMC(台湾積体電路製造)が熊本県菊陽町に建設する工場。日本政府は第一工場(23年内に完成予定)に総投資額の約4割に相当する4760億円、第二工場(24年4月着工予定)に約5割に相当する9000億円を補助するが、政府が補助を出す日本のラピダスの競合にもなり得る外国企業のTSMCに計1兆円以上もの補助をすることが、議論を呼んでいる。
10月24日、熊本県の蒲島郁夫知事は定例会見で「半導体など最先端の製品を熊本から輸出入できるような空港機能を強化するとともに、多くの乗客が利用できる空港にしたい」と熊本空港を中心とする「大空港構想」に言及した。この構想は、空港機能の強化、産業の集積と産業力の強化、交通ネットワーク構築、快適な生活ができる街づくりの 4つの柱で構成される。熊本県はTSMCの工場建設を契機に、劇的に変貌する勢いだ。その勢いは九州全域を射程に入れて、続く25日に開かれた九州地方知事会議で「九州シリコンアイランド」構想が発表された。九州フィナンシャルグループの試算によると、TSMC進出を起点とした経済波及効果は、2022~31年の10年で6兆8518億円(累積効果)に達する。
「政府がこれだけの補助をするのは経済波及効果が目的ではない。経済波及効果はあくまで二次的な効果で、目的は自動車産業の強化である」
そう指摘するのは「セミコンポータル」編集長兼「newsandchips.com」編集長を務める国際技術ジャーナリストの津田建二氏である。この指摘を裏付けるように、熊本工場を運営するTSMCの子会社JASMには、ソニーセミコンダクタソリューションズとともにデンソーが出資している。
「経済産業省は半導体分野でラピダスのような新会社だけでなく既存の会社にも補助する方針を固めているので、TSMCへの補助はその一環と捉えている。TSMCの熊本進出の背景は、経産省が半導体産業を強化する一番の近道として、世界一のメーカーを日本に誘致しようと考えを変えたことにある。スマホなど最先端のデジタル分野で使う半導体は7ナノ(1ナノメートルは10億分の1メートル)など高集積なものだが、この水準の集積度をよく使うのはクアルコム。その技術を製造できるTSMCは22~28ナノも製造できる。この集積度は日本の強みである自動車製造に適している」(津田氏)
現状では投資リスクはほとんど見当たらない。自動車製造の大きなテーマは事故を引き起こさない車の開発だが、制御機能に半導体は不可欠であるうえに、自動運転車が事故を起こした場合、瞬時に救急センターに無線で位置情報が送信され、救急車が駆けつける体制が欧州では始まっている。この体制整備にも大量の半導体が使用される。供給先のメインが自動車業界であることから、当面の間、需要は拡大する一方である。
他方、TSMCの熊本進出は米国にもメリットがある。米国政府は、半導体など安全保障に関わる分野で米国資本の対中投資を規制しているが、台湾有事を想定して半導体供網を分散化しておきたい思惑があるともいわれる。
「米国政府はTSMCの熊本進出を支援していないし、関与できる立場にないが、TSMCの熊本進出を一番歓迎しているのは米国政府ではないだろうか」(同)