徳島県にある「お松大権現」は受験生が合格祈願で訪れる神社として知られています。そんな神社の境内にはなぜか猫・猫・猫のオンパレード!?江戸時代の化け猫伝説が伝わるという「猫神さん」をご紹介します。
猫神さまが待つお松大権現
徳島県南部にある阿南市加茂町。ここに勝負事に霊験あらたかな神社「お松大権現」があります。鳥居の脇では大きな招き猫が出迎えるこの神社は、受験シーズンとなると合格、必勝を祈願する受験生で境内が賑わいます。地元では「猫神さん」と親しまれているお松大権現は、まさに猫づくしな神社なのです。鳥居をくぐった足元には猫の足跡もあるのです。
この神社がなぜ猫神さんと呼ばれているのか?その歴史をひも解いていくと、なんと江戸時代にまで遡ります。
江戸時代前期の貞享年間、当時の徳島藩の加茂村では不作が続いていました。そこで庄屋は村を救うために私有地を担保に富豪にお金を借りるのです。
しかし、この富豪にお金を借りたのは間違いでした。ちゃんと返済期日までに金を返したものの、富豪は証文を渡さず庄屋に未返済の濡れ衣を着せ、庄屋は失意の内に病死してしまいます。そして借金の担保になっていた土地は富豪に取り上げられてしまったのです。
ここで登場するのが庄屋の妻であるお松。意を決して奉行所に訴えるも、すでに富豪に買収された奉行は不当な裁きを下すのです。お松は最後の手段として死罪になることを覚悟の上で藩主に直訴を決行。そしてお松は愛猫の三毛に遺恨を伝え、処刑されてしまうことに。
その後、お松の意志を継いだ三毛が化け猫となり富豪と奉行の家にあらわれ怪事を次々と起こし、両家は断絶してしまったというのです。この話は佐賀県の鍋島、福岡県の有馬とともに日本三大怪猫伝(かいびょうでん)と呼ばれる化け猫の伝説として知られています。
そんなエピソードの後、お松を哀れに思った村人がお松を祀ったのがここ、お松大権現だったのです。しかし、罪人であるお松を神格化し祀ることはお上に知れれば大罪。村人たちは隠れるようにお松を祀り、事件を語り継いでいったといわれています。
やがて言論の自由が認められるようになった明治以降に、今日のように公然と祭祀し、その物語も広く語れるようになったのです。このお松大権現は、正義を貫こうとしたお松とその愛猫の神社だったのです。
境内には猫1万匹!?
お松大権現の境内は、合計1万体以上の猫の像が境内にあると言われ、その大部分は招き猫です。これは飼い主のお松の代わりにかたき討ちを果たした猫、三毛の逸話から願い事や勝負事にご利益があるということで奉納されたもの。これがお松大権現が猫神さんと呼ばれる所以です。特にお松大権現は、受験生からの崇敬を集めており、受験シーズンともなると多くの受験生たちが必勝祈願にやってくるのです。
招き猫だけでなく猫の絵馬も多数奉納されており、合格祈願だけでなくお礼参りにも多くの受験生が訪れているのが見てわかります。やはり効果はホンモノ!?