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日産再生と同時に立ち上がった、「新たなるZ」
日産のFRスポーツは新世代へと受け継がれた

日産再生と同時に立ち上がった、「新たなるZ」

「地獄の底から這い上がってきた“新たなるZ”!」日産復活の象徴となったZ33型フェアレディZ【推し車】
(画像=2003年には先代までのTバールーフに代わるフルオープンの「ロードスター」も追加、北米でも「俺たちのZカーが帰ってきた!」と喜ばれただけでなく、Z以前のフェアレディ(ダットサンスポーツ)をも思い出させた,『MOBY』より 引用)

日米それぞれが理想を追い求めて作った「本来あるべき姿のZ」を下敷きとして、後にR35GT-Rの開発責任者として知られる水野 和敏 氏がFMプラットフォーム(現在はFR-Lと呼ばれる)の開発に着手。

FM(FR-L)プラットフォームは次期Zのみならず、次期スカイラインなどのセダンやSUVにも展開する画期的な新世代プラットフォームとして社内プレゼンにかけられますが、1990年代後半の日産では全く理解されず、一度は開発が凍結されたようです。

しかしそれは表向きの話…裏では社内でも極秘の半ばプライベート・プロジェクトとして開発が進行しており、1999年3月に力尽きた日産がルノー傘下入り、同6月にカルロス・ゴーン氏がCOO(最高執行責任者)として乗り込んだ時には、半ば開発を終えていました。

なんだ、Zは復活できるんじゃないか…しかもインフィニティの高級セダン(後のV35スカイラインやフーガ)やSUVにも使えるぞ、というわけで、同10月に始動した「日産リバイバルプラン」にもしっかり組み込まれたZ。

ゴーン氏が北米ミシュラン時代の愛車として思い出深かかったZの再生を望んだだけでなく、日産社内で密かに進行していた復活プランがようやく実を結んだのはZ32の生産終了からわずか1年10ヶ月後、「Z33型フェアレディZ」は華麗なるデビューを果たしたのです。

その頃には約2兆円もの有利子負債を抱えていた日産も、猛烈なコストカットと改革でV字回復を果たそうとしており、フェアレディZの復活は、日産の復活をも象徴していました。

日産のFRスポーツは新世代へと受け継がれた

「地獄の底から這い上がってきた“新たなるZ”!」日産復活の象徴となったZ33型フェアレディZ【推し車】
(画像=JGTC(2005年以降はSUPER GT)にも参戦、R35でGT-Rが復活するまで日産モータースポーツの旗手を務めたZ33フェアレディZ,『MOBY』より 引用)

重厚感とエレガントなスタイルを持つZ32から、あたかもダウンサイジングしたようなZ33ですが、実は全長・全幅はさほど変わらず、高くなったルーフと大幅に伸びたホイールベースによるバランスの変化と、伸びやかなデザインが軽快感をもたらしています。

Z32まで設定された4人乗りの2by2は、準姉妹車のCV35スカイラインクーペ(インフィニティG35クーペ)に統合されて消滅、Z33は純粋な2シータークーペとして再構築されており、V6エンジンも新世代の高回転型自然吸気エンジンのVQ35DEを搭載。

この「大排気量の高回転型自然吸気エンジンを積む」というコンセプトは次のZ34まで引き継がれますが、Z33でも初期型のVQ35DEで280馬力、改良型のVQ35HRでは313馬力に達し、レース用の3.8リッター版では実に350~400馬力にも達しています。

これに新たな6速MTや5速ATを組み合わせ、フロントミッドシップの恩恵で前後重量配分53:47とバランスの取れたZ33は動力性能と運動性能に優れたリアルスポーツとして、レースやラリーなど、各種モータースポーツでも存分に活躍してみせました。

2007年にはR35GT-Rが発売されたので、「日産のフラッグシップスポーツ」の座を譲りますが、2008年に後継のZ34へバトンタッチするまで、日本を代表するFRスポーツクーペであり続けたのです。

その頃の国産車は2002年の排ガス規制で1990年代のスポーツカーが一斉に消滅、かなり種類が減ってスポーツユーザーにとっては寂しい時期でしたが、そこにZ33で復活したフェアレディZは、日産ファンならずとも嬉しい希望の星でした。

※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。

文・MOBY編集部/提供元・MOBY

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