目次
Zとして、そして日産の復活をも象徴した5代目Z33
日米で作られた「本来あるべき姿」のZコンセプト
Zとして、そして日産の復活をも象徴した5代目Z33
同じ車名で代を重ね、長い歴史を誇る国産車ではスポーツカーとして随一の日産 フェアレディZ…MOBY編集部がAIに聞いた、「30~50代のクルマ好きが気になる名車」にも、歴代モデルがノミネートされています。
今回紹介するのは、バブル時代に開発された4代目Z32が生産を終えた2年後、「華麗なる復活」を遂げた5代目Z33。
当時はZに限らず、クーペを含むスポーツカーの需要がすっかり落ち込んでいた時期だけに、「伝統のフェアレディZが帰ってきた!」と歓迎されただけでなく、どん底から復活した日産を象徴するような存在でした。
日米で作られた「本来あるべき姿」のZコンセプト
1990年代のフェアレディZは、強力な3リッターDOHC V6ツインターボのVG30ETTが日本国内での「280馬力自主規制」第1号となったり、ワイド&ローでスタイリッシュなデザインの高級ラグジュアリークーペ、1989年にデビューした4代目Z32でした。
まだバブル景気で調子が良かった頃ならともかく、バブル崩壊後に勢いを失い、かつRVブームで新たな価値観を問われた日本市場では次第に忘れ去られ、主要市場の北米でも保険が高額な2ドアクーペが歓迎されなかった時期でもあり、不遇な世代だったと言えます。
日産自体が急激な経営悪化に見舞われ、販売台数を見込めるFFレイアウトの大衆車やRV以外は社内でも力が入らず、Z32はさしたる改良もないまま1996年に北米での販売を終了、日本でも2000年まで細々と販売されるのみでしたが、Zは死んでいませんでした。
日本本国の日産本社では1997年に次期Zの方向性を検討する試作車が、「俺たちのZを返してくれ!」とばかりにかつての「プアマンズポルシェ」を愛するZカー(ズィーカー)の本場アメリカでも、米国日産独自の「Zコンセプト」が1999年に作られています。
面白いのは日米どちらもS14型240SX(日本名シルビア)をベースに、2.4リッター直4のK24DEを独自にチューンして搭載していたこと。
北米ではプラザ合意(1985年)の円高ドル安で高級クーペになってしまったフェアレディZに代わり、S13以降の240SXが「Zカー」のポジションを受け継いでいたので、ある意味では初代S30型Zの原点に立ち返るものでした。
ただ、いずれも「直列4気筒エンジンではZっぽくないし、それでいいなら240SX(シルビア)と変わらない」という結論に達したようで、本国の試作車が採用したフロントミッドシップレイアウトをベースにした、V6エンジン搭載車が次期Zと決まります。