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マツダ第2の危機から、その復活までを支え続けたファミリア
バブルによる負の遺産がファミリアにも及んだ8代目
マツダ第2の危機から、その復活までを支え続けたファミリア
現在のMAZDA3、旧名「アクセラ」の前身であり、1960年代にマツダの本格的な小型車参入第1号となって以来、2000年代までの長きにわたって主力量販大衆車でありつづけた「ファミリア」。
その末期にあたる8-9代目は、バブル景気と5チャンネル体制の崩壊で深刻な危機を迎えていたマツダを支え、アクセラが後を継いでからも商用ライトバンとして現在までその名は続いています。
今回はMOBY編集部がAIに聞いた「30~50代のクルマ好きが気になる名車」にノミネートされている歴代ファミリアの中でも、マツダ独自モデルとしては最後になった8~9代目と、現在も他社からのOEM供給で続くファミリアバンを紹介しましょう。
バブルによる負の遺産がファミリアにも及んだ8代目
1994年6月、マツダの土台とも言える最量販大衆車「ファミリア」が8代目へモデルチェンジした頃のマツダは、最悪の状況を迎えていました。
バブル景気により好調な国内販売を、「トヨタへ追いつく最後のチャンス」とばかりに開発・生産・販売ともに拡大していき、販売網も従来のマツダ、フォード(オートラマ)以外にユーノスやフアンフィニ、オートザムを加えた5チャンネル体制を構築。
社運をかけた「クロノス」シリーズの派生車を中心に急速に増やした新型車を次々に並行開発して投入し、そして1991年にバブル景気が崩壊した後、その全ては負の遺産として、本来は広島の中小メーカーに過ぎないマツダへのしかかったのです。
その影響は主力のファミリアへも及び、保守的な4ドアセダンはコストダウンで平凡ながらも堅実なモデルチェンジを果たしたものの、3ドアハッチバックは後のランティスにも通じるとはいえ、寸詰まりで奇抜なデザインの「ファミリアNEO」を投入。
このNEOがまさに「バブルが生んだ負の遺産」そのもので、1.5~1.8リッター級へと上がった車格も含めて受け入れられず、本来ならマツダの看板であるべき最量販車種でありながら、月販3ケタという絶望的な不人気車になってしまいました。
現在の視点で見ればスタイリッシュな3ドアファストバッククーペ風ですが、従来の3ドアハッチバックが持っていた積載性や後席の居住性といった実用性に欠け、後方視界も期待できないデザインは、それまでのファミリア3ドアユーザーに受け入れられなかったのです。
バブル時代ならともかく、バブル崩壊後にこれだけ趣味性全開ではどうにもならず、明らかな失敗に青ざめたマツダは1996年10月のマイナーチェンジでNEOをアッサリ廃止して通常のハッチバック車へ作り変えるとともに、安い1.3リッター車を追加します。
本来、もっとも堅実であるべきファミリアでこれだけヒドイ失敗作になったこと自体、当時のマツダがどれだけ苦境だったかを象徴していましたが、その後の救世主となったのはマイナーチェンジ版3ドアファミリアではなく5ドアの新型車、初代デミオでした。