現在多くの人々が当たり前のように満員電車に押し込まれて長距離通勤をしています。
しかし長距離の通勤という文化の発生には、郊外の住宅地や交通機関の発達が必要になります。
果たして満員電車や長距離の通勤はいつの時代から始まったのでしょうか?
本記事ではいつ通勤が生まれたのかについて紹介しつつ、戦前の通勤について紹介していきます。
なおこの研究は国際交通安全学会IATSS ReviewVol.25,No.3に詳細が書かれています。
半ば儀式と化していた武士の通勤
通勤が一般的なものになったのは近代になってからです。
それ以前の社会では町人の多くは自営業という形で仕事を行っていたり、大規模の商店に住み込みで働いたりしており、現在のように自宅から通って仕事をしている人はあまり多くありませんでした。
また人口の多くが農民であり、そもそも町人の数もあまりいませんでした。
それでも現在の通勤に近いことをしている例がなかったわけではなく、例えば大名は江戸の屋敷から江戸城に通勤したりしています。
日常時の通勤の際はそこまで厳しいルールはなかったものの、江戸城で特別な儀式が行われるときなどは城への通勤そのものが儀式となっており、髪型や衣服なども厳しく決められていました。
実際に大老の井伊直弼(いいなおすけ)が襲撃された桜田門外の変のときは、井伊家の屋敷から江戸城の門までの1.5キロほどの距離を一時間近くかけて移動していました。
この日はいわゆるひな祭りのため、江戸にいる大名たちは祝賀へ総登城することになっており、井伊はそこで祝辞を述べる予定でした。
その為普段の通勤とは異なり、自宅を出たときから儀式ばったものになっていたのです。
またこの日に江戸城内で行事が行われることは事前に知らされていたこともあって江戸の町民が登城する大名の見物に訪れており、襲撃した水戸藩士たちも見物客に紛れて行動していました。
そのような事情があって、この日が襲撃の決行日に選ばれたのではないかと言われています。