愛車遍歴も早21回を数えることになった訳ですが、ここで編集・藤倉から、「MEN’S CLUBの編集長時代に、戸賀さんが乗っていたクルマがもっとあると思うのですが……」という物言いがつきました。そこで今回は、その真意を探るべく、急きょ番外編をお送りすることが決定。戸賀編集長の記憶から消えた、不遇のクルマとは一体どんなモデルだったのでしょうか?

出版業界では、かなりのクルマ好きとして知られている戸賀編集長(トガ)。数々のクルマを乗り継いで来た彼が「何を基準にクルマを選んだのか?」、「そのクルマの魅力はどこなのか?」を大いに語ります。話の聞き手は、戸賀編集長が雑誌編集者時代から30年来の付き合いを続けている、フリーランスエディターの菅原(スガ)。若い頃の数年間は、仕事も遊びもほとんど一緒に過ごしていたという「トガ&スガ」の二人。そんな二人ならではの昔話、こぼれ話もお楽しみに!

藤倉 ここまで楽しく、戸賀さんの愛車遍歴を拝聴してきたのですが、ちょっと疑問に思うことがありまして……。

菅原 おっ、藤倉くん、疑問に思ったことは、編集者として迷わず聞いた方が良いと思うよ。で、疑問点って何?

藤倉 はい。戸賀さんって、MEN’S CLUB編集長時代に、もっと他のクルマも所有していたと思うんです。

戸賀 それって、撮影で使用させてもらったクルマと混同しているんじゃないの?

藤倉 いや、たぶん所有なさっていたと記憶しているのですが……。

戸賀 そんなクルマあったかなぁ? たとえば、どんなクルマ?

藤倉 確か、ポルシェ911などが……。

戸賀 911? …………あ、997の後期型のGT3か? 確かに記憶の片隅にはあるな(笑)。

戸賀編集長が語る愛車ヒストリー 番外編「忘れ去られた愛車は、まさかのポ○シェ⁈」
(画像=『JPRIME』より 引用)
戸賀編集長が語る愛車ヒストリー 番外編「忘れ去られた愛車は、まさかのポ○シェ⁈」
(画像=『JPRIME』より 引用)

菅原 トガ~~~、お前が大好きなポルシェを忘れちゃいかんだろ。ちなみにそれって、いつ頃の話しになるの?

戸賀 う~ん、確かBMWのラグジュアリー&スポーティーなモデルに乗っていたあたりだったと思う。メインカーが何だったかは思い出せないけど、MEN’S CLUBの編集長時代であることは間違いないよ。

菅原 トガの記憶が頼りの連載なので、その辺はよろしく頼みます (笑)。しかし、何でトガ自身が、「911の頂点」と公言しているGT3を忘れていたの?

戸賀 単純に、ほとんど乗ってなかったからだね。乗ってないからあまり思い出も無いんだ…。

菅原 さらに! せっかく手に入れた憧れのGT3に、なんで乗らないのかな?

戸賀 当時乗っていたBMWのラグジュアリー&スポーティーなモデルを本当に気に入って、毎日のように乗っていたこともある。でも最大の原因は、このGT3には、PDKがまだ付いていなかったことかな。当時のモータージャーナリストの皆さんは、こぞってこの997GT3を絶賛していた。でも実際に自分で乗ってみたら、『モータージャーナリストは何でこのGT3を絶賛するの?』って思うくらい、スパルタン過ぎる乗り心地だったんだよ。
残念だけど、港区、渋谷区をメインに走る俺には、このスパルタンさは、あまりにつらかった。クラッチは激重だったし、首都高の轍ではステアリングが取られて気持ち良く走ることができない。ゴルフ場に向かう道のりもキツくて、クラッチの重さでゴルフ場に着く前に疲れ切っていることもあった(笑)。帰り道で運転中に足をつったことが何度もあったしね。
だからといって、GT3が悪いわけではない。簡単に言えば、憧れのクルマではあったけど、俺の生活スタイルがGT3に合わなかっただけ。
早朝の土日の箱根やサーキットで走ることをメインにできる生活なら、やっぱり最高の1台なんだと思う。都心で乗ることがメインの俺の生活には合わないから、乗る回数が自然と減ってきてしまったというのが本当のところかな。
この連載で何度も言っている『大排気量のマニュアルは、生半可な気持ちじゃ乗りこなせない』ということを、あらためて実感できたのもこのGT3だった。だから997にはPDKがまだ付いてなかったというのも大きいよね。
さらに俺の場合、妻の評価は最重要項目でもあるんだけど、GT3で向かった初の箱根ドライブで、「このクルマには、二度と乗りたくない」って言われてしまったことも大きい(笑)。やっぱりデートカーにするには、GT3はスパルタン過ぎたんだよね。乗らなくなってしまった原因としては、こちらもかなり大きかったね。

ポルシェだけではなく、BMWの5GTも忘れていた⁉

藤倉 それと、ちょっと派手なBMWに乗っていた時期もありましたよね?

戸賀 さすが藤倉、乗ってました(笑)。あまりに997のGT3がスパルタンなので、気軽に乗れる一台が必要だったんだよ。どうしようかと考えていたら、アジアで唯一のBMW公認チューナーであるスタディが、デモカーの5GTを譲ってくれるという話しが出てきた。走行距離は10万キロを超えていたと思うけど、速攻で購入を決めたんだよ。

戸賀編集長が語る愛車ヒストリー 番外編「忘れ去られた愛車は、まさかのポ○シェ⁈」
(画像=『JPRIME』より 引用)
戸賀編集長が語る愛車ヒストリー 番外編「忘れ去られた愛車は、まさかのポ○シェ⁈」
(画像=『JPRIME』より 引用)
戸賀編集長が語る愛車ヒストリー 番外編「忘れ去られた愛車は、まさかのポ○シェ⁈」
(画像=『JPRIME』より 引用)

戸賀 この5GTは、7シリーズをベースにした、リムジン仕様にできる半分SUV、半分ワゴンもたいなクルマだった。当然、速くはならないクルマだから、スタディがレーススペックにする訳がない。そこでスタディは、走りには振らずに、敢えて車高を上げインチダウンして、サファリ仕様みたいなクルマに仕上げたんだよ。ボディカラーは艶消しのカーキで、ボディも横にロゴが入っていた。
手に入れた時はバケットシートに変えてあったんだけど、俺はそれが嫌でノーマルに戻してもらった記憶がある(笑)。でも移動手段としては最高のクルマだったよ。
ただ本当に目立つクルマだったから、悪いことは絶対にできないよね(笑)。当時、外苑のゴルフ練習場に止めておいたら、「トガブロ拝見しています」、なんてメモ付の名刺がワイパーに挟んであったことがあった。あまり目立ち過ぎるのもちょっとキツいかな、ってことで後輩に譲った記憶がある (笑)。