■培ったマインドセットには責任がある

 自由意志によって主体的に選択をしているという理解は実は一筋縄ではいかない。

 たとえばロープで椅子に縛られた状態で、川で溺れている子供を見て、助けたくても助けられなかったと悲しむことと、縛られている事実によって初めから救う気が湧かなったこととは、気持ちは違っても結果は同じである。

 サポルスキー氏は自由意志は決定論と両立しないものであると単純に定義し、これによって人々の道徳的責任が免除されると説明する。つまり縛られているので助ける気持ちが湧かなかったからといって非難されるいわれはないというのだ。

 しかし互換主義者に言わせれば助けようとも思わないというのは道徳的に問題がある態度であり、断罪されるべきものである。結果は同じかもしれないがそこには大きな違いがあるのだと考えられることは自由意志を持っていることになるというのである。

 ヨーバラキ氏によれば、サポルスキー氏は自由意志の問題を純粋に科学的なものであると仮定していることで間違いを犯しているという。

我々は本当に自由なのか…「自由意志」は存在せず、すべては決まっているのかもしれない
(画像=画像は「Pixabay」より、『TOCANA』より 引用)

 自由意志に科学は関係しているものの、まず形而上学的問題として自由意志とは何か、そしてその自由意志が道徳的責任 (規範的問題) にどのように関連しているのかについて、これまで哲学者たちが長い間問い続けてきたことを理解するべきであるという。

 学際的な研究は貴重であり、科学者が古くからの哲学的問題に貢献することは歓迎されている。しかし斬新な切り口からアプローチするばかりでなく、まず既存の議論に取り組まなければならないということだ。つまり自由意志の問題は哲学の問題であり、科学の問題ではないということなのだろう。

 ピッチャーが投げたボールを打つか打たないか、その判断は意識的な自由意志によって行われているわけではないようにも思えるのだが、その判断には“練習”と“経験”という長いプロセスが反映していると考えるのは自然なことである。個別の選択が必ずしも自由意志によって行われていなかったとしても、それを選ばせるべく培ってきたマインドセットにはそれなりの責任があるのだろう。

参考:「The Conversation」ほか

文=仲田しんじ

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提供元・TOCANA

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