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発売当初は大ヒット!そして猛追撃するライバル
致命的だった水冷化、実質3年の短命でレックスへバトンタッチ
発売当初は大ヒット!そして猛追撃するライバル
1969年8月に発売したR-2は、「軽乗用車の名門がついにスバル360の後継を発売した!」だけでなく、多くのユーザーを満足させる実用性、リードバルブを採用してアルミ製軽量ブロックの高性能エンジンと先代譲りの軽量ボディによる走りがユーザーに歓迎されます。
その結果、発売から2週間で26,000台もの受注を得て生産が追いつかないほどの大ヒットとなり、ライバルの台頭で沈みかけた名門ブランドの復権なるか…!と一時は大きく期待されますが、1969年末には早くも人気に陰りが出る兆候が見られました。
そう、富士重工が新型を出すなら、当然ライバルも黙ってはいません。
同年7月には三菱が「ミニカ」を2代目にモデルチェンジ、元々フロントエンジンのFR車でスペース効率に優れていましたが、デザイン一新で若者にアピールしていました。
1970年1月にはフロントに大型トランクを備えたスズキの「フロンテ」(3代目)、同4月にはダイハツがFF化した「フェローMAX」を発売し、7月に追加したツインキャブのSSが360cc軽自動車最強の40馬力を発揮。
そしてN360でスバル360を追い落としたホンダは、1971年6月に水冷エンジンや4ドア車をラインナップし、翌年発売の初代「シビック」原型とも言える新型の「ライフ」を発売。
R-2も1970年2月にバン、同4月には継続販売していたスバル360ヤングSS後継となる36馬力の高性能版「R-2 SS」を追加しますが、ライバルへの決定的な優位を得るには至りませんでした。
致命的だった水冷化、実質3年の短命でレックスへバトンタッチ
それでも名門ブランドのイメージがあったR-2は軽自動車販売競争において競合の一角を占めていたものの、1971年10月に発売した水冷エンジン搭載の「L」シリーズが致命的な問題を抱えており、短命に終わるR-2の運命を決めました。
当初から水冷エンジン搭載を考慮していたわけではなく、それでいてリアエンジンのためフロントのラジエターまで長い配管を要したR-2は、設計上の限界からサイドシルに通した配管の腐食や破損といったトラブルが多発、要するに水冷エンジンに無理があったのです。
その頃には、厳しくなる一方の排ガス規制対策にエンジンの水冷化は必須とされており、空冷信者と見られたホンダですらライフにはハナから水冷エンジンを載せたくらいでしたから、事実上、空冷エンジンしか使えないR-2は短命に終わる運命でした。
富士重工もそれを見越し、最初から水冷エンジン化を見越した設計の新型「レックス」(初代)を1972年7月に発売、同時にR-2のLシリーズを廃止したので、かなり早い時期からR-2を見限って、レックスまでのつなぎ役と考えていたのかもしれません。
「ゼブラグリル」と呼ばれたフロント回りの装飾追加など、後に当初のシンプルでスマートなデザインが損なわれたと批判されましたが、R-2を最低限の化粧直しで延命する意図だったと思えば納得ですが、発売当初の大ヒットからは意外な結末を迎えました。
空冷エンジンのセダンとバンは継続販売したR-2ですが、実質的にはレックス発売までのわずか約3年でその役目を終えており、レックスに4ドアセダン追加(1973年3月)で生産・販売を終えました。
後継のレックスは環境対応型でスポーティな軽乗用車でしたが、現在でもシンプルな初期型や高性能版「SS」を中心に、スバル360の正当な後継車として、さらに空冷スバルの完成形として、R-2を好むユーザーは多いようです。
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文・MOBY編集部/提供元・MOBY
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