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ファミリアGT-RのWRC未参戦は惜しかった!7代目(1989年)
ファミリアGT-RのWRC未参戦は惜しかった!7代目(1989年)
バブル景気でイケイケドンドン、トヨタに追いつくなら今しかないと、後になって思えば無謀な拡張期にあったマツダでしたが、その真っ只中の1989年にモデルチェンジしたのが7代目ファミリアでした。
バン/ワゴンが先代の継続生産で3/5ドアハッチバックと4ドアセダンのみ…かと思いきや、後にランティスへと発展する4ドアクーペ(テールゲートつきの5ドアハッチバッククーペ)&リトラクタブルヘッドライトの「ファミリアアスティナ」も登場。
これがマツダ323F(323はファミリアのヨーロッパ名)としてヨーロッパで発売されるやヒットとなり、323(ファミリア)シリーズ全体の販売を底上げ、バブル崩壊後に急激かつ深刻な経営危機に見舞われたマツダを支える功労者になった…というのはまた別な機会に。
この記事で注目したいのは、当初上置きインタークーラーのGT-X、後に前置きインタークーラー化でGT-Rとなった4WDターボモデルで、ライバルのように2リッターターボとはならなかったものの、1.8リッター化でパワー不足をいくぶん解消します。
1990年代からGT-Xが投入されたWRCでは惜しくも結果を残せず、経営危機により撤退したので「雪の女王再び」とはならなかったものの、市販車からほぼ無改造のグループNではタイトルを獲得するなど結果は残し、国内ラリー/ダートトライアルでも活躍しました。
特に前置きインタークーラー化でフロント周りを一新したファミリアGT-Rは、後の世で言うならば「ファミリアエボ」とでも呼ばれそうな、かなりいかつく迫力あるデザイン。
日産のパルサーGTi-Rともども、「メーカーの経営危機で真価を発揮せぬままWRCを去った、悲劇のマシン」であり、セリカやギャラン、レガシィなどと打倒ランチア デルタを目指し、フォード シエラを蹴落とす程度の実力はあったと信じたいところです。
なお、ファミリアそのものは1994年に8代目へモデルチェンジしますが、その際に「ファミリアNEO」を名乗った3ドアハッチバックの奇抜なデザインが日本では大不評、改めて普通の8代目ハッチバックが登場する1996年まで、7代目ハッチバックが継続販売されました。
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
文・MOBY編集部/提供元・MOBY
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