■岸家、佐藤家の秘密

【田布施システム】歴代首相を生み出す謎の村「田布施」をジェームズ斉藤が解説!
(画像=岸信介。画像は「Wikipedia」より引用,『TOCANA』より 引用)

 半島から渡ってきた人たちが名前をつける場合、例えば、金さんであれば、金田など、わりとわかりやすい日本名をつけます。

 ところが、岸家も佐藤家もそういった半島らしさがありません。ですから、多くの人は「朝鮮系の人たちが多く住む田布施」と言われてもピンとこないのです。しかし、それは私たちが日本の歴史と半島の歴史をしっかり理解していないからです。

 まず、近代の半島を語る上で李氏朝鮮を理解しないといけません。李氏朝鮮は1392年から高麗の武将、李成桂が興した王朝で、中国冊封体制の下、王朝内で多くの内紛が起こっていました。いまの韓国を見ていてもわかると思いますが、選挙で負けた大統領は罪に問われてほとんどが監獄に放り込まれています。李氏朝鮮王朝時代はさらにそれが徹底されており、内紛で負けた派閥は殺されたのです。

 とはいえ、負けたほうも黙って手をこまねいているわけではありません。当然、逃亡を図るわけで、そのほとんどが海を渡って日本へと逃げてきていたのです。

 勘のいい方ならもうおわかりですよね。彼ら政争に負けた朝鮮の人々は日本の瀬戸内海沿岸まで逃げてひとつの集落を作っていったのです。田布施はそういった町の一つでした。

 そして、岸家も佐藤家も地位の高い両班(李氏朝鮮における貴族階級)であり、もっと言えば、岸家は李氏王朝の血を引く一族で、その証拠が「岸」という家名なのです。