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なぜか不遇なフェアレディZの中でも、とりわけ不遇なZ32
「MID4」の夢破れた日産に残されたスポーツカーはやはりZ
なぜか不遇なフェアレディZの中でも、とりわけ不遇なZ32
ダットサン・スポーツ以来の長い歴史を誇る日産純血のスポーツカーでありながら、今でも最新のRZ34型が欲しくてもなかなか手に入らないなど、不遇の期間が意外にも多い気がするフェアレディZ。
MOBY編集部がAIに聞いた、「30〜50代のクルマ好きが気になる名車」にも歴代モデルが当然のようにノミネートされていますが、今回紹介するのは4代目Z32です。
インフィニQ45やBNR32スカイラインGT-Rとともに、当時の国産車280馬力自主規制の基準となった「280馬力トリオ」の1台でありながら、GT-Rのように頻繁なバージョンアップを受けることなく塩漬けだった期間が長く、ファンを悲しませた世代のお話。
「MID4」の夢破れた日産に残されたスポーツカーはやはりZ
1980年代後半、日産は「MID4」およびその発展型「MID4-II」というミッドシップ・フルタイム4WDのスーパーカーを開発しており、市販が実現していれば初代ホンダ NSXと並び後世に語り継がれる名車になった…かもしれません。
しかし日産はこのミッドシップスポーツを新技術の試験車両に留めることを決断、開発で活かされた技術は1990年前後に発売される日産車へ活かされる事となりますが、3リッターV6DOHCツインターボのVG30DETTや、スーパーHICASなどを受け継いだのがZ32。
4代目のフェアレディZとなるZ32は、急激な円高による海外での価格上昇でラグジュアリー路線を強めていたZ31後期からの流れにある、当時の国産車としては高級スポーツカーに属したクルマでした。
日産としては、グループAレースのJTC(全日本ツーリングカー選手権)で必勝を期すマシンはBNR32スカイラインGT-Rと決め、レースで勝つというよりスポーツカーらしい雰囲気と快適性や高級感といった要素はZ32フェアレディZで、と役割を決めたようです。
Z31前期までの「プアマンズ・ポルシェ」路線は240SX(海外版シルビア)に任せて車格を上げ、3リッターV6DOHCエンジンの自然吸気版(VG30DE)を標準に、同ターボ(VG30DETT)を高性能版として、300馬力を発揮。
BNR32スカイラインGT-RのRB26DETT、インフィニティQ45のVK45DEともども国産最強の「300馬力馬力トリオ」として売り出すところ、当時の運輸省(現・国土交通省)から横槍が入って日本国内では「280馬力トリオ」となり、そのまま国産車の自主規制値へ。
その3台で最初に発売されたのはZ32だったので、「日本初の280馬力」となって、スポーツカーとしての面目を保った形となりました。