近年、海外移籍を選択する選手が大幅に増加している。日本代表選手のほとんどが海外チームの所属である。しかし、DF丹羽大輝のように35歳で初めて海外移籍を果たした例は稀だろう。ガンバ大阪時代に期限付きで移籍した徳島ヴォルティスやアビスパ福岡でも飛躍的な活躍をみせた丹羽は、2012年にG大阪に復帰。2014年にはクラブの3冠獲得に貢献し、翌年には日本代表としてもプレーした。
国内で名DFと目されていた丹羽が憧れの地スペインへと渡ったのは2021年。当時スペイン4部相当だったセスタオ・リーベル・クルブで存在感を示す活躍をみせ、昨2022/23シーズンにはチームのリーグ優勝にも貢献。セスタオは7年ぶりに3部復帰を果たした。
現在、2023年7月に移籍したアレナス・クルブ・デ・ゲチョ(スペイン4部)でプレーする丹羽。独占インタビュー前編では、移籍に対する思いや考え方、新天地でチームの一員になるための心構えなどについて語っている。
言葉の壁を乗り越えた策とポジティブ思考
「幼少期の頃からずっと、チャンスがあればスペインでやりたいと思っていました。ただ契約の問題や自分の活躍ではラ・リーガからオファーが来る事は難しく、なかなか実現しませんでした。(2020シーズンで)FC東京との契約が終わってフリーになり、チャレンジするかしないかを考えました。例えばそこから複数年契約を結んでしまうと、年齢的にも契約の問題的にも行けなくなってしまう。当時35歳だったので、このタイミングがラストチャンスでした。
もともと海外志向があったので、英語はずっと勉強していました。スペイン語も勉強とまではいかないけど、単語帳を読んだりはしていました。ただ、スペイン語しか喋らないスペイン人が多いので、今は勉強してきた英語はどんどん抜けて、スペイン語がどんどん入ってきています。
(2021年5月にセスタオ・リーベル・クルブへと)移籍して、最初は苦労しかありませんでした。サッカーはコミュニケーションを取らないといけないスポーツなのに取れないもどかしさ、それでも自分らしさをアピールしないといけない難しさがありました。練習前や練習中、練習後にチームメイトと話していましたが、コンビネーションや組織的な守備に必要な全ての言葉が出てこない。そこが1番難しくて、最初の6か月間は語学学校に通っていました。当時は午後からの練習で、朝9時から昼の1〜2時ぐらいまで学生に交じりながら勉強していました。ただ、語学学校でしゃべる言葉とサッカー用語は別物なので難しかったですね。
スペインにはバルがたくさんあり、家の近くのバルではラ・リーガの試合だったり代表の試合だったり、絶対にサッカーの映像が流れていました。そこでは試合を見ながら、おじいちゃんやおばあちゃん、おじさんだとかがずっとサッカーの話をしている。これはチャンスだなと思い、語学学校が終わった後に毎日通って、サッカー用語はほとんどそこで覚えました。セスタオでは加入してすぐに昇格がかかったプレーオフの試合があり、レギュラー争いで結果を残さないといけませんでした。でもその苦労も分かりながら行ったので、苦労やストレスよりもスペイン語やサッカー用語を覚えていけることにワクワクしていました。
スペインに住んでみて分かったのは、スペインには思っていた以上にサッカーが根付いているということ。僕の世代のスペインといえば、無敵艦隊と言われて代表が凄く強くて、スペイン代表もバルセロナもパスサッカー。凄い国というイメージはありましたが、住んでみるともっと凄かった。スポーツはサッカーのみというくらいの感覚でした。昨年はセスタオでずっと優勝争いをしていて、シーズンが終わる前から何チームかからオファーを頂いていました。その後セスタオを退団する形になり、熱心に誘っていただいたアレナス・クルブ・デ・ゲチョに加入することを決めました。
僕はずっと、いろいろな環境でいろいろな監督や選手とやりたいという気持ちでいます。環境を変えることで成長するし、日本で何回も移籍する中で新たな出会いがたくさんあったから、移籍はポジティブなことだと思っているんです。新しいチームで始動して3~4ヶ月になるけれど、毎日刺激的な日々を過ごしています」