「世論」とは一体、いかなる存在だろうか。生き物ではないから、「世論」を存在と呼ぶことはできないが、その無生物の「世論」を背後で操っている存在は通常、人間であり、その集団だろう。

ウィーン市庁舎前広場のクリスマス市場(2023年11月12日、撮影)
例えば、岸田文雄首相は自身の信念に乏しく、「世論」の動向を見ながら政策を決定する首相だという声を聞く。「世論」が願わない政策はせず、「世論」を反映した政策を優先的に実行していく。指導力があり判断力のある政治家が「世論」に逆行するケースがあれば、必要ないばかりか歓迎されないのだ。
その「世論」の動向は世論調査や意識調査などを通じて、今、国民の世論はどちらに向いているかを判断する。日本で性的少数者(LGBT)理解増進法案が2023年6月、国会で可決されたが、これなどは典型的な「世論」の操作の結果だろう。欧米社会のLGBTの流れに押され、LGBTをあたかも重要な法案といわんばかりに推進していった岸田政権は「世論」に動かされたわけだ。
くせものは世論調査、意識調査といった類の調査だ。それらを通じて国民の総意、考えをはかり知ることができるだろうか。LGBT運動を見ても分かるように、社会の少数派は注目されるために声を大にして叫ぶ。LGBTとは普段関係のない大多数の国民は米国や欧州の実情を紹介され、LGBT関連法案が日本でも必要だといわれ続けたのだ。
世論調査は質問の中に、調査する側にとって願わしい回答が直接的、間接的に示唆されているケースが多い。だから、「これが世論調査の結果だ」といわれても、ピンとこない沈黙の大多数の国民が出てくる。世論調査結果と自身が一致しない、といった現象が生まれてくるわけだ。
「世論」は多くの国民に質問し、その結果、「社会にはこのような潮流がある」と見つけ出すものではなく、世論は恣意的に操作して作り出すものだといった傾向が最近はとみに見られる。そして作り出された「世論」はあたかも国民の過半数が支持したものだ、という誤解を生みだす。その誤解が個人レベルであるなら被害は大きくないが、国レベルでの誤解、例えば総理大臣となれば、国の運営を誤る危険性が出てくるわけだ。
そのうえ、「世論」は常に正しい、というわけではない。むしろ、多くは一部の、特定の思想、世界観によって操作された「世論」が多く、事実とは一致しないケースが多い。「嘘も100回言えば真実となる」といった論理が世論操作側にはあるから、繰り返し繰り返し、にせ情報をこれでもか、これでもかと拡散していくわけだ。情報発信力の乏しいものは21世紀の世界では生き延びていくのが難しいのは、そのためだ。