それはそれで素晴らしいでしょう。ですが、一度圧力を抜いたら二度とその圧力には戻れないのが50-60代という年齢であります。

スポーツジムにあるトレッドミル。機械の上で歩いたり走ったりするあれです。私も週に数回走り続けて30年になると思います。長年やっていて唯一、年齢に勝てないことがあります。負荷値(スピード)が年齢と共にどんどん落ちるのです。普段は同じスピードを繰り返しますが、病気の後やしばらくぶりで再開する時などどうしても体力が戻っていない場合には負荷値を一旦下げるのですが、一度下げると元の負荷値に戻せないのです。これは私がどれだけ高い精神力を持っていても出来ない不思議な事実なのです。

人生の圧力も同じです。常にポンプアップしているのですが、その圧力を抜けばスーッと下がり、同じ情熱や継続力、汗、努力の継続が難しくなるのです。

ただ出来なくても新しいことを始めるのは可能です。私の友人が週末だけ営業する蕎麦屋をやりました。決して稼ぎたいからやるのではなく、自分が情熱をもってできる代替なのだと思います。

私はビジネスではやりたいことが沢山あるのですが今はそれを少しずつ後進に譲ることも含め、シンプルにする作業を進めています。あと5年ぐらいですっかり面倒なことは無くなり、専門的ノウハウを別にすれば会社運営にかけるウェイトは相当下がると思います。

では、お前は引退するのか、と言われるでしょう。笑い飛ばします。それは無いです。やりたいことがもう一つだけあるのです。大きな括りは教育というカテゴリーです。しかし、私には世間一般で言う先生や学者としてのバックボーンがありません。また、今更論文を書いたり学術書とにらめっこするつもりもありません。

私が目指すのはCultural Translator になりたいのです。日本語にはないと思います。二国間の文化上の相違を翻訳するというのが直接的な解釈で、比較文化論に近いかもしれません。私はビジネスや生活に関する日本と北米を中心とした社会、文化の相違を産学の組み合わせで実態面を研究し、根本思想を考えると同時に、「日本学」という分野を一つ作ってみたいのです。

なぜ、日本学か、といえば外国人に向けた日本の理解を促進させる総括的な学問はありそうでないからです。私が人生の半分以上海外で暮らしたなかで「日本のユニークネスとは何か」を伝えた海外で発行された学問や研究は少ないと思います。「菊と刀」は日本に来たことがないアメリカ人が書いた書籍です。部分的な日本人論は数多くありますが、論理的、体系的に整えたものは少ないか、埋もれてしまっていると思います。かつ、それを学術のみならず、実社会レベルに落とし込んだものは少ないでしょう。

多くの外国人は「不思議の国のニッポン」を根本的に理解しないまま、成田空港で土産物を抱え、「また来たいね」で終わるのです。それではディズニーランドと同じなのです。入場料を払ってうまいもの食べて、温泉入って、珍しいものを見つけて楽しかった、で終わるのです。

だから日本人からすれば日本に来る外国人が胡散臭いと思う人も減らないのです。彼らに日本の特徴を教えることが重要だと考えてるのです。まだざっくりした話ですが、いつかは本でも買いてみたいですね。

なかなかタフは夢ですが、そんなことを思い描くと老いぼれるわけにはいかないのです。

では今日はこのぐらいで。

編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年11月19日の記事より転載させていただきました。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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