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ロシア・ウクライナ戦争や中東のガザ地区でのイスラエスとハマスとの「戦争」は、われわれに国際関係における利害対立や武力衝突の危険を再認識させました。

こうした混沌とした世界の動きを読み解くためには、国際関係理論がとても役に立ちます。この知的ツールを利用すれば、世界で起こっていることを完全に理解できないまでも、世間の注目を集める国際的な出来事について、その都度、直観的に考えるより、はるかに正確な考察ができるでしょう。

人間は「代表性ヒューリスティック」、すなわち、自分が注目した衝撃的なニュースなどを典型的で普遍的な事象の代表と勘違いしがちです。しかしながら、ある特定の出来事は、それを構成する母集団のほんの1つのサンプルに過ぎません、もしかしたら、例外的な事象(外れ値)かもしれません。こうした認知バイアスを避けるには、国家間の関係の一般的パターンを説明する理論を使うことが有効です。

核武装国と強制行動

国際関係にアプローチする際に、なぜ理論的分析が役に立つのか、1つの例を挙げて説明します。

我が国では、ロシアがウクライナを侵攻するにあたり、核兵器の威嚇によりNATO(北大西洋条約機構)をけん制したことから、「ロシアを敗北させなければ、核武装国が好き勝手にできてしまう世界になる」という言説が一部でささやかれています。しかしながら、政治学の標準的な研究は、そのような主張を否定しています。

トッド・セクサー氏(ヴァージニア大学)とマシュー・ファーマン氏(テキサスA&M大学)は、核武装国が行った強制外交、すなわち核恫喝により相手国の行動を意のままに動かそうとしたことを統計分析と事例研究で詳しく調べた結果、それらの試みは軒並み失敗してきたことを明らかにしています。

ここで注意していただきたいのは、強制外交とは、国家が軍事力の威嚇により、自らの政治的意思を相手国に戦争をせずに受け入れさせることです。これに失敗した場合、強制する側は、武力を引っ込めるか、それとも行使して戦争に訴えるかのどちらかを選択するよう迫られます。

ロシアのプーチン大統領は、アメリカのバイデン大統領にウクライナがNATOに加盟させないことを約束するよう迫りましたが断られました。そこでクレムリンは、ウクライナ国境付近に大量のロシア軍を展開して、再度、NATOに同じ要求を書面で誓約するよう要求しました。しかしながら、NATO事務総長のイェンス・ストルテンベルグ氏は、これを拒否しました。

これによりプーチンらの指導者は、振り上げた拳を下すか振るうかの選択に直面して、後者、つまりウクライナ侵攻に至ったということです。要するに、ロシアは強制外交に失敗したから、戦争を決断したのです。

核恫喝を盾にした侵略

ロシアは核兵器でウクライナやその支援国を威嚇することにより、同国に供与される兵器の種類や量を制約させたり、NATO加盟国による直接の軍事介入を阻止したりしているようにみえます。これは核兵器による強制ではなく、抑止になります。抑止とは、相手国に望ましくない敵対的な行動を思いとどまらせることです。これは国家が相手国に既にとった特定の行動を自らの要求に従って変更させる強制とは異なります。

抑止は強制よりも成立しやすいというのが、政治学の常識です。なぜ、そうなるかといえば、人間は利得より損失に敏感だからです。プロスペクト理論が示唆するように、政治的指導者は損失を避けようとする際には、リスクを冒しても頑迷に抵抗する傾向があります。だから、国際関係では現状維持の方が現状変更より達成しやすいのです。

ロシアの核兵器による威嚇は、ウクライナ侵攻において、おそらく「シールド(盾)」のような役割を果たしたのでしょう。すなわち、モスクワは核兵器による懲罰の脅しを西側諸国にかけることで、その軍事介入やロシア本土への打撃を抑止する一方で、ウクライナへの通常戦力による侵略を実行しやすくしたということです。

これは古くから「安定と不安定のパラドックス」(グレン・スナイダー氏)として、よく知られています。この理論は核戦争へのエスカレーションのリスクが全面戦争を防いでいる状況において、通常戦力による戦争の可能性がかえって高まってしまうという逆説的な現象を説明しています。近年の「核シールドの理論」は、これを肯定するものです。核武装国は相手国を破滅させられる核兵器の第二撃能力を持つと、究極の生き残りを確実にできるので、通常戦力を使った行動をとりやすくなるというのです。

それでは、この核シールド理論は、どの程度の一般性を持っているのでしょうか。前出のセクサー氏とファーマン氏によれば、この理論は「俗説」のようなものだということです。

神話8:核兵器は侵略のシールド(盾)になる……これが正しければ、核武装国は既成事実化により現状を自国にとって有利に変更できる……2014年初め頃のロシアによるクリミア編入は、これがいかに上手くいくかを例証するものだ……我々は、このシールドの主張をテストしたところ、物足りないことが分かった。国家が核兵器を保有しても、(1)強制の威嚇を発したり(2)領土の現状維持に軍事力により挑戦したり(3)領土をめぐる現存する紛争を拡大したり(4)軍事力を使って領土紛争を有利に解決したり出来るようにはならない。核武装国による軍事力を使った領土の現状変更への挑戦は、大きな変更を生じさせることに7割がた失敗している……我々は1つや2つの事例を一般化する際には慎重になるべきだ……1999年のカーギル危機での冒険が領土の現状維持に変更をもたらさなかったことを思い出すのは大切だ。(同書、250ページ)

そのカーギル危機において、核武装したパキスタンは核保有国のインドとの領土紛争を優位にしようと通常戦力に訴えましたが、結局のところ失敗しました。

核兵器による強制外交は、①政治目的を通常戦力で達成できるかどうか、②強制に賭けるものがどのくらい大きいものなのか、③強制を実行する際に支払うコストはどの程度になるのか、といった要因に左右されます。

ロシアが核恫喝で西側をけん制しながらクリミア半島を編入して既成事実化したことや、1962年10月のキューバ・ミサイル危機において、ケネディ政権がソ連のフルシチョフ首相にキューバに配備した核ミサイルを強制的に撤去させたことは、②の条件を満たす稀な事例でしょう。