黒坂岳央です。
昨今、あちこちでコスパ、タイパと見るのが普通になった。保護者会で親同士が集まって子どもたちのイベント企画の会話の中でも「それタイパ悪くないですか?」などと聞こえてくる。
人の価値観はさまざまであり自分とは別の人間がコスパやタイパを重視しようとしまいとそれ自体はどうでもいいのだが、「コスパ、タイパでない活動はダメ」という排他的な価値観が広がることは問題だと思っている。つまりこれは合理的でない行動はすべからく愚かであるという価値観だ。
なぜなら、コスパやタイパの反対語は「高級志向」とか「贅沢」であり、こうした価値観が人生を豊かにしてくれると思うからだ。

SB/iStock
コスパ、タイパ至上主義の世の中で、合理的でない活動は「情弱」「論理的思考力がない」などと言われがちだ。確かにビジネスなどにおいてはほとんどこの理屈は通る。ビジネスは商品サービスで価値提供をして、利益を出すことが至上命題となっているため、贅沢や高級志向を意識した結果利益をムダに削ることは愚かといっていい。
たとえば社員の労をねぎらい、仕事の活力を高めてもらうためにいい旅行を準備することは仕事や会社への帰属意識の高まりというリターンの観点でありだが、社長が経費で遊びたいという理由だけで社員の気持ちがついてこない企画ならそれはただただ損益計算書にダメージを与えるだけの愚行といえるだろう。ビジネスではリスク・リターンの関係性がすべてであり、コスパの悪い行動を常に排除し続けなければ、いざビジネス環境の変化によって売上や仕入原価、経費が傾いたときに耐えられなくなってしまう。
昨今、リモートワークからオフィス出社へ回帰する動きが米国ITテック中心で起きているが、これもフルリモートは全社的に見てコスパ、タイパが悪いデータが出たので完全出社、もしくはハイブリッドに戻しましょうという話だ。
ビジネスについていえばコスパがすべてといっていい。
コスパ一辺倒の人生は楽しいのか?その一方であくまで個人の人生を豊かに生きる、という観点で見ればあまりコスパ、タイパと言いまくるのは窮屈ではないかと思っている。それは非日常の高級体験や贅沢を一切否定する思考だからだ。
たとえば旅行や記念日のレストランでの食事もコスパだけ考えればすべて「不要」という判断になる。旅行は多額のコストがかかるし、準備も時間も労力がかかるので「部屋で無料動画を見て過ごす」とか「ストリートビューで旅行した気になる」という方がコスパがいい。レストランにもいかず、激安スーパーで100円前後の売れ残り惣菜を買い集めれば外食っぽい体験は可能だ。しかし、それで人生が楽しいかは別の話になる。