日本でひとりの再挑戦を選択する
通学できないため、家庭教師が毎日来るようになっていた。現役の東大生である。家庭教師も私の状況を理解してくれた。高校受験の模擬テストの出題傾向がよくあたる先生だった。そして、受験シーズンの2月を迎えることになる。
2学期の内申書(成績と出席状況)が悪いため私立一本に絞った。受験した高校は合計10校。しかし、結果は二次試験を含めて全滅だった。人としての尊厳を踏みにじられるような面接を何回も経験した。そのとき、確信した。学力をいくらつけても意味がない。内申書を変えないことには高校にははいれないのだと。
私は中野区立第三中学校の卒業予定だったが、卒業したら内申書はそのままだ。内申書を変えるには中学三年をやり直すしかなかった。つまり、留年するしかなかった。学校は必死になって、あの手この手で卒業させようとした。しかし私の意思は固かった。
「両親の実家がある大田区に住所を移して、大田区の中学校から中野区に転入してきたことにします」と教育委員会から連絡があった。
「さすがに、同じ中学校でやり直すと……下級生と同じクラスですからね」 「他の中学校に転入する方向でうまく対応しておきます」
受入れ先は、中野区立第二中学校だった。教育委員会の人に聞いた。
「私のように区立中学(公立)を卒業せずに留年する人は日本で何人くらいいるんですか?」
その人はこう答えた。
「尾藤君だけだと聞いています」
そっか、日本でオレだけだったんだ。そして最後まで、担任を含めた関係者から謝罪の言葉は無かった。どこから聞きつけたのだろうか。大手雑誌社の数社から取材依頼があった。私は話したかったが周囲にとめられたので断念した。
友達の存在に救われた一年間不安が無かったわけではない。中野三中では信頼できる友達がいなくなっていた。私のグループは5人組だったが、全員が「尾藤にそそのかされてA君の家に行きました」という反省文を提出していた。当然ながら人間関係は崩壊した。
お詫びなり、相談があればよかったがそんなものはない。何人かの父母からは、「うちの子供を巻き込まないでほしい」という哀願があった。彼らが学校に来て、担任にペコペコしている姿をみて、「終わったな」「ひどいな」「はめられた」と感じた。
中野二中では頑張ってどうにか一年をやり過ごそうと思っていた。一年我慢すればどうにかなると。ところが、中野二中での生活は思ったより楽しかった。友達なんかできないと思っていたが、転校初日に話しかけてきたクラスメイトがいた。
かりにS君としておこう。彼はハンサムで、ナチュラルなソフトリーゼントが格好良くみえた。根が優しいダンディな男だった。ロックが好きでコンサートにも行った。通販のギターで練習したり、はじめて麻雀を覚えたのもこの頃だった。
友達の存在が嬉しいと思った。S君とはいまでもたまに連絡をとることがある。私も数年前までは同窓会に顔を出していた。彼の存在がなかったら、中野二中での生活は辛いものになっていただろう。いま思い出せば楽しい一年だった。留年という選択が間違っていないと確信した。
人生に折り合いをつけるとは?ちなみに、私がこの話をメディアに公開するのは初めてである。少しずつ話せるようになったのは数年前、つまりごく最近のことだ。なんで話せるようになったのか? それは自らの人生に折り合いがつけられるようになったからだと思う。
じつは、今回紹介した事案に関しては調査(教育委員会への照会)をしようと考えている。当時は、次の3点について確認するものの回答は得られなかった
A君がどのような事件を起こして転校してきたのか 私の転入が最終的にどのように決定されたのか 私の事案に対する謝罪、責任をどのように考えるのか1.については個人に関わる重要情報であったことから伏せられていたものと考えている。しかし、私が被害を負った根幹なので詳細は知りたいところである。2.3.については情報公開請求の対象事案になると期待している。
もし明らかになれば、学校でトラブルに巻き込まれた際の有益な情報として役立つのではないかと考えている。中野区教育委員会への照会が終わり次第、またレポートにしてお知らせしたい。
【補足】
1980年代、校内暴力が社会問題化していた。生徒が教師を襲ったり、教師が生徒を殴るのも当たり前の時代だった。現在とは時代背景が異なっていた。
私は15歳のときこのような経験した。同級生の父母からは、「尾藤君はもう終わりね」「もう立ち直れないだろう」と言われ、ゴシップに辟易したのを覚えている。確かにかなりのハンデになったことは間違いない。
中学校卒業後は無事に、高校~大学に進学した。その後、大学院に進学し、経済学と経営学を修了してダブルマスター(経済学修士、経営学修士)も取得した。本も21冊出版し、発信力の高い識者として紹介される機会も増えた。上場企業や事業会社の役員もそれなりに経験した。まだ何者にもなれていないが、いまを楽しんでいる。
最後に、いじめにあっている子供や、つらい思いをしている人に、「必ず道が開ける」ことをお伝えしたい。挫折はとらえ方次第でどうにかなるものだ。よほど、外れたことでなければ「必ず道は開ける」のだと信じている。
若い人には時間がある、しかし時間は無限ではない。
あなたの成功を、こころから祈念しています。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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