被害者の訴えは全て事実となるのだろうか

二つ目の違和感が、会見席上では誰も事実認定に至る根拠を示していないことだ。当たり前かもしれない、加害者側2名が既に死去しているからだ。死人に口なしである。そして根拠なく認めた事実を疑う空気は全く存在しなかった。

確かに様々な周辺情報や被害者の弁、状況証拠などから相当部分の事実認定できる要素はあるだろうが、それでも全て自動的に事実とするのもおかしな話である。事実と認定するのは誰なのだろう。

本来そういった場合の解決のために裁判という手段が用意されている。しかし現実には、被疑者死亡に付き不起訴となる状況であり、法的には時効を迎えているものもあるという。まさに法的には過去の罪に訴求することは御法度であり、過去の事象を現在の価値観で裁くのも許されないのである。

それに対して、現経営陣として「法を越えた救済」という人道的見地に立った対応を示しているのは解決に向かえる方法論であろう。

一方で、新社長自身にも加害者としての疑いが存在する。しかしこのことに関しては、即答で「事実ではない」と全否定した。

弁明が出来ない故人の罪に関しては、魔女裁判よろしく事実と認めつつ、自分の罪と指摘されたことは、事実でないと否定する。違和感を感じるのは私だけだろうか。

危機管理として向き合え

危機管理として臨む記者会見の対応としては、よくできていたとは感じる。シナリオの組み立て、話し方など、流石に餅は餅屋、長けていた印象だ。

ただ、悪いいい方をすれば、芸能界とメディア、もたれ合った環境で行われた出来レースとして左傾化するリスクも感じられる。

芸能界とメディアに横たわる問題として、同様の話は他にも聞こえてくる。それこそ「噂話では・・・」レベルの話かもしれないが、噂話の段階で、事実確認をし、個々に是々非々で向き合うべきだろう。

全て疑わしきは糾弾、という魔女裁判的に言ったもの勝ちにしては決してならない。それでも噂話の段階で、もし噂話が事実であった場合を想定して、事実確認をし、事実であれば適切に危機として向き合う危機管理対応を取るべきだろう。

危機管理はその影響範囲を特定し、適切な対処が必要になる。今回のジャニーズ問題であるならば、創業者夫妻による加害事案に絞られているが、関連の他の加害者やメディアの加担などは今なお継続中の危機事態ではないのだろうか。

過去の話なら過去の話として同様に整理し、むしろ今なお続く危機に向き合わなければならないのだ。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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