石破茂です。
最近、仕事関係の書籍や資料を読んでいると、ただでさえ回らない頭が痺れてきて、思考停止状態になってしまうことが多いのですが、そのような時は昔読んだ本を読み返すのが効果的なように思います。
立原正秋や五木寛之、渡辺淳一の比較的初期の作品が好きなのですが、高校生や大学生の時に読んだ三島由紀夫の一連の作品を改めて読んでいると、あの豪奢で華麗な文章に魅了されてしまい、資料の精読に戻ることなくついつい時間が過ぎてしまいます。遺作となった「豊饒の海」四部作は相当に重いのですが、「美徳のよろめき」「女神」などは比較的気楽に読めますし、「午後の曳航」の強烈な恐ろしさは何度読んでも変わることがありません。
三島が陸上自衛隊東部方面総監部で壮烈な自決を遂げたのは昭和45年11月25日のことで、当時中学2年生だった私にはその意味が全く理解出来なかったのですが、今週「自衛隊『影の部隊』三島由紀夫を殺した真実の告白」(山本舜勝著・講談社刊・平成13年)を改めて読み返してみて、深く考えさせられるものがありました。
著者の山本陸将補(故人)は三島が傾倒していた陸上自衛官だったそうですが、没後50余年を経て、三島の国家観、歴史観、皇室観が主観を排して客観的に語られるようになったのだと思います。混迷混濁の今の時代に改めてその思いを突き詰めて考えてみたいと思っています。
総理の所信表明演説に対する質疑今週は衆参両院本会議で総理の所信表明演説に対する質疑が行われました。総理が「経済、経済、経済」と連呼したのに対し、野党党首が「給付、給付、給付」「改革、改革、改革」「賃上げ、賃上げ、賃上げ」と連呼する様(さま)は、まさしくイメージ先行のワンフレーズ・ポリティクスを象徴しているようで、ストーリー性に欠けたあまり噛み合わない議論が展開されたのは残念なことでした。
減税や給付の規模や対象ばかりが議論されていますが、この議論のそもそもの発端は総理が「経済成長の成果である税収増などを国民に適切に還元すべく対策を実施したい」と発言されたことにあります。
基幹三税の税収増は物価高(消費税)、名目賃金の上昇(所得税)、円安による輸出企業の利益(法人税)によるものですが、物価高の影響は当然、税の対価としてのサービスを実施する政府にも及ぶのであって、サービスの水準を維持するとすれば、そこに「還元」する原資は存在しないのではないでしょうか。
行政サービスの水準以上に税をとりすぎてしまったのなら当然「還元」すべきですが、今の状態はそれとは逆であり、加えて「異次元の少子化対策」「防衛費の大幅増」などの行政サービスに要する費用は増大するのですから、「還元」などしている余裕はないはずです。
再三の指摘となって恐縮ですが、日本国憲法は税負担について応能主義をとっており、税負担能力の上がった個人(この10年で1億円以上の純金融資産を持つ世帯は81万世帯から149万世帯へとほぼ倍増しています)や、円安で空前の利益を上げている大企業などは担税能力があると考えるべきではないでしょうか。
「富裕層や大企業が海外に逃避してしまう」とよく言われますが、本当にそうなのかはきちんとした検証が必要です。
今までは需給ギャップの存在が経済対策を必要とする理由であったと思うのですが、直近で需給ギャップはプラスに転じているはずで、それでもなお経済対策を必要とする理由についても、わかりやすい説明が求められます。
昨今の物価高は、大規模な金融緩和による円安、加えてウクライナや中東情勢の緊迫化によるエネルギー価格の高騰と、原発停止による輸入化石燃料の増大によるもので、短期的な減税や給付金で一時的な効果があったとしても、根本的な解決にはなりません。
日本経済だけが成長しなかったのは、低金利、通貨安と低賃金によるコストカット経営を続けてきたからであり、かなりの期間、多くの人々がこれを是認してきたわけですから、払拭しようとすればそれなりの時間と負担がかかります。それでも我が国の将来を考えれば、日本は高付加価値型のモノづくりを真剣に追求すべきであり、そのための体制整備こそが必要なのではないでしょうか。