フーゲスの弟子が頭蓋骨に穴を開ける

(画像=画像は、「Mad Scientist Blog」より,『TOCANA』より 引用)
フーゲスから最も影響を受けた弟子が英国人男性のジョセフ・メレンだった。メレンはイートン大学とオックスフォード大学で勉強していたが、1960年代にスペイン・イビサ島で開催されたパーティーでフーゲスと出会ってLSDを紹介された後、フーゲスに同調して退学した。メレンは「洗礼者ヨハネのような者」を自称した。
1966年、メレンはロンドンで、英国の女性美術家であるアマンダ・フィールディングにフーゲスを紹介した。同年夏、メレンとフィールディングは、アムステルダムにいたフーゲスに電話をかけ、英国に戻って、メレンの頭蓋骨に穴を開けるのを手伝ってほしいと頼んだ。しかし、フーゲスは入国を拒否されたため、フィールディングが代わりに手伝うこととなった。メレンはドリルを使って頭蓋骨に穴を開けようとして意識を失ってしまい、フィールディングが呼んだ救急車で病院へ搬送された。
メレンとフィールディングは、フーゲスと決別した後に結婚し、2人の子供をもうけた。メレンは再度セルフトレパネーションに挑戦したが、穴が小さすぎたため、これといった変化を感じられなかった。数年後に再挑戦して成功した4時間後、意識がハイになったのを実感したという。
メレンの良好な変化を確認したフィールディングは、1970年にセルフトレパネーションを実施し、その様子を撮影した映画『ハートビート・イン・ザ・ブリテン』を制作した。
フィールディングは、28年間をともに過ごしたメレンと離婚した後の1998年、科学と政策の両面から薬物の調査を支援する慈善信託団体「ベックリー財団」を設立した。2000年には、1970年に開けた穴がふさがってしまったと感じ、メキシコシティで頭に2つ目の穴を開けた。