黒坂岳央です。
「おじさんの世界には鏡がない」という漫画がSNSでバズっている。
おじさんの世界には鏡がない pic.twitter.com/q27js8Mocl
— 東京日記 (@tokyoeveryday) November 29, 2021
詳しい内容は漫画を見て頂ければと思うが、「他人に太っていると批判をする本人も明らかに太っている」という文脈でなされた発言だ。これには個人的に強く共感し、そう思わされることが少なくない。
これには多くの人が抱えている心の問題を浮き彫りにしただろう。そして鏡を持たない人はおじさんに限った話ではない。

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最初にハッキリ言っておくが、自分は批判や意見を出すなと言いたいわけではない。誹謗中傷などルールを超えない範囲で、我が国では言論の自由は憲法で保証されている。だから自分のことは棚に上げて他人に意見を出しても合法ということになっている。
しかし、すなわちそれが社会的に支持を得られるかは別の話だ。必死に活動をしているYouTuberやブロガーに向かって「努力が足りない」みたいに相手のことを何も知らないで上から目線で罵る人がいるが、そもそもその人物の方が圧倒的に努力をしていない場合が少なくない。また、プロ野球選手に「もっと気合い入れろ」という人は自分の人生で選手ほど気合を入れて生きているかはかなり怪しい。
世の中の不文律の一つに「批判はする側ではなく、される側になるべき」というものがある。過去記事「口先だけの評論家より手を動かす実務家になれ」でも書いたが、手を動かさず口ばかり忙しくなってる人を成功者と考える人はいない。
主張したい、批判したいことがあるならまずは自分がその土俵をクリアしてから言うべきだと思うのだ。たとえば「東大なんて簡単」という主張に説得力があるのは、東大合格者かそれ以上の大学を合格した者に限られると考えるのと同じ話である。
だが内容がポジティブであればこの限りではない。すなわち、誰かを応援したりする行為は自分ができなくても何も違和感はない。プロ野球選手を熱心に応援するのは、自分にはできない超人的な能力に対して支持しているからで、それは相手へのリスペクトがあれば自然発生的に湧き上がるものである。自分ができないからこそ、リスペクトするし応援したくなる。「あなたはできないのに応援なんかするな」という人はいないのだ。
結論的には批判は意見は自由だが、ネガティブな内容なら鏡を見て人の振り見て我が振り直せとするほうがよほど建設的だし、ポジティブな内容なら積極的にやるべきだと思うのである。