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この創作のテーマは「個人の恩讐」だが、目下の国際社会を揺るがせているのは「国家の恩讐」だ。世界は今、個人が支配する「独裁国家」と、国民が主権を持つ「民主主義国家」とに分かれ、陣営を形成して対立している。
とはいえ、独裁国家の為政者も個人だし、民主主義国家の進むべき道も、一人一人の国民が選挙で選んだ選良という個人が決めるのだから、個人の意思で国家の「恩讐」も越え得るはずだ。日台に加えて日韓にもその兆しが見え始めた。
が、「ハマスは40人の乳児を殺害、一部は斬首によるものだった」と報じられた事態が事実なら復讐の連鎖を生む。訪露した鈴木宗男氏は14年のクリミア併合以降、ドンバスで2万人のロシア系住民が殺されたことが、昨年2月のロシアによるウクライナ侵略を生んだと述べた。
プーチンがネオナチの仕業と述べたここの情報が、西側の報道には不足していた。しかしそれが事実としても、人口4千万の隣国の4分の1の人々を外国に避難させ(一部はロシアへの拉致とされる)、国土を蹂躙し、多数の無辜の市民を無差別に殺すことが許される道理はない。
中東を訪問中のブリンケンは、ガザへの支援物資搬入や市民の脱出を助ける人道回廊に言及した。だが、有効と思われるのは、パレスチナ自治政府(注)の内、ハマスが支配するガザ地区から、ファタハのアッバス政権が支配する西岸地区への回廊だけだろう。こうした内情を報じないのもメディアの怠慢だ(注:138ヵ国が国家承認。日本は未承認)。
世間には、ハマスがなくなったところでとか、尹大統領が次の選挙で負けたら、とかの「でもしか論」がある。一見尤もらしいが、よく考えれば、現状に取り組まずに傍観せよという、主体性を欠く論だ。時の為政者には国益の観点から旗幟を鮮明にする決断力が求められる。岸田総理も肝に銘じて欲しい。
幸い日本人には、原爆で数十万の住民を虐殺したと、米国にテロを起す者はいない。戦後80年はほぼ人の寿命だ。市九郎と実之助は30年を経ず「恩讐」を越えた。一世代が交代する年月であり、ソ連崩壊後の期間でもある。過去の真の「恩讐」を知り、それを越えるにはちょうど良い歳月ではないか。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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