(前回:人は何年経ったら「恩讐」を越えられるのか(前編))

主人を家臣に殺された中川家は、家事不取締で取り潰された。縁者に預けられた一子実之助は、10年経ってそのことを知り、復讐の一義を肝深く銘じて柳生の道場に入る。十九で免許皆伝を許されると、彼は報復の旅に上った

五畿内、東海、山陰、山陽、北陸と、彼は旅路に年を送り年を迎え、九年目の春を中津の城下に迎えた。一日、宇佐八幡宮に賽して、本懐の一日も早く達せられんことを祈念した彼は、境内の茶店で百姓体の男が参詣客にこう語るのを耳にする。

その御出家は、元は江戸から来たお人じゃげな。若い時に人を殺したのを懺悔して、諸人済度の大願を起したそうじゃが、今いうた樋田の刳貫(洞窟)は、この御出家一人の力でできたものじゃ。

更に百姓に問うた実之助は、その御出家が了海といい、越後柏崎の生まれと知る。江戸を出る時、敵は越後柏崎の生れ、と聞いていた彼はすぐに洞窟に向かう。入口にいた石工に了海という御出家がいるかと尋ねると、石工は「了海様は、この洞の主も同様な方じゃ。はははは」と笑った。

すると洞窟から乞食僧が蟇のように這い出て来た。肉は落ちて骨あらわれ、脚の関節以下は所々ただれて正視に堪えない。破れた法衣で僧形とは知れるものの、頭髪は伸びて皺だらけの額を覆っていた。実之助の張り詰めていた心は、老僧を一目見た刹那たじたじとなった。

心底憎悪を感じるような悪僧を欲していたのに、前には人間とも死骸ともつかぬ、半死の老僧が蹲っている。が、実之助は失望し始めた心を励まし、こう言い放った。

了海とやら、いかに僧形に身をやつすとも、よも忘れはいたすまい。汝、市九郎と呼ばれし若年の砌、主人中川三郎兵衛を打って立ち退いた覚えがあろう。某は、三郎兵衛の一子実之助と申すものじゃ。もはや、逃れぬところと覚悟せよ。

老僧は少しも驚かなかった。「いかさま、中川様の御子息、実之助様か。いやお父上を打って立ち退いた者、この了海に相違ござりませぬ」と、敵と狙う者に会ったというよりも、旧主の遺児に会った親しさをもって答えた。

その声音に欺かれてはならぬと構える実之助に、老僧は「実之助様、いざお切りなされい」といった。罪亡しに掘り始めた洞門は19年掛けて九分まで来た。自分が死んでも直に完成するから、実之助の手にかかって、洞門の人柱となるなら思い残すはないというのだ。

実之助は、懐いていた憎しみが消え失せているのを覚えた。敵は父を殺した罪の懺悔に、身心を粉に砕いて、半生を苦しみ抜いている。唯々として命を捨てようとしている。かかる半死の老僧の命を取ることが、何の復讐であるかと考えたのだ。

しかしこの敵を打たない限り家名再興は出来ない。彼は憎悪よりも打算からこの老僧の命を縮めようかと思った。が、燃えるほど激しい憎悪を感じずに、打算から人間を殺すことは、彼にとって忍びがたかった。

その時、洞窟の中から走り出て来た石工たちが「了海様をなんとするのじゃ」と実之助を咎めた。妨げられると敵に対する彼の怒が蘇えり、「主殺しの大罪は免れぬぞ。親の敵を討つ者を妨げいたす者は、一人も容赦はない」と一刀の鞘を払った。

老僧も「皆の衆、お控えなされい。了海、討たるべき覚え十分ござる。この洞門を穿つことも、ただその罪滅ぼしのためじゃ。今かかる孝子のお手にかかり、半死の身を終ること、了海が一期の願いじゃ。皆の衆妨げ無用じゃ」と声を上げた。

すると石工の統領が「いかに、御自身の悪業とはいえ、大願成就を目前に置きながら、お果てなさるること、いかばかり無念であろう。我らのこぞってのお願いは、長くとは申さぬ、この刳貫の通じ申す間、了海様のお命を、我らに預けては下さらぬか」と誠を表して哀願した。

実之助は邪魔が入ったことに憤り、今宵にも洞窟の中へ忍び入って、市九郎を討って立ち退こうと考えた。石工たちは実之助を見張っていたが、五日目の晩、石工たちも警戒の目を緩めたと見え、丑の頃には眠りに入っていた。

彼は一刀を引き寄せ、静かに木小屋を出て、洞窟に入った。二町ほど進んだ時、奥からクワックワッと間を置いて響いてくる。進むに連れ、音は洞窟にこだまするまでになった。了海が岩壁を打つ音に相違なかった。実之助は、その悲壮な凄みを帯びた音に胸が激しく打たれるのを感じた。

深夜、草木も眠る暗中に端座して鉄槌を振る了海の姿が、墨のごとき闇にあってなお、実之助の心眼にありありと映った。もはや人間の心ではなかった。喜怒哀楽の情の上にあって、ただ鉄槌を振っている勇猛精進の菩薩心であった。

握りしめた太刀の柄がいつの間にか緩んでいた。実之助は我に返った。すでに仏心を得て、衆生のために、砕身の苦を嘗めている高徳の聖に対し、深夜の闇に乗じて、獣のごとく怒りの剣を抜きそばめている自分を顧みると、強い戦慄が身体を伝うて流れるのを感じた。

それから間もなく、石工の中に実之助の姿が見られた。本懐を達する日の一日でも早かれと懸命に槌を振った。了海もまた、実之助が出現してから一日も早く大願を成就して孝子の願いを叶えてやりたいと思ったのだろう、更に精進の勇を振って狂人のように岩壁を砕いた。

それは了海が槌を下して二十一年目の延享三年(1746)九月十日の夜のこと、了海が振り下した槌の手が、手答えなく力余って岩に当った。その時、了海の朦朧たる眼にも、その槌に破られた小さな穴から、月の光に照らされた山国川の姿が映ったのである。

了海は、「おう」と全身を震わせ名状しがたい叫び声を上げたかと思うと、狂したかと思われるような歓喜の泣笑が洞窟を動揺した。彼は実之助の手を取り、小さい穴から山国川の流れを見せた。敵と敵とは手を執り合って大歓喜の涙にむせんだのである。

すると了海は身を退さり、「いざ、実之助殿、約束の日じゃ。お切りなされい。かかる法悦の真ん中に往生いたすなれば、極楽浄土に生るること、必定疑いなしじゃ。いざお切りなされい。明日ともなれば、石工共が、妨げいたそう、いざお切りなされい」としわがれた声を洞窟に響かせた。

が、実之助は手を拱いて座ったまま、涙にむせんでいるばかり。敵を討つなどという心よりも、このか弱い人間の双の腕によって成し遂げられた偉業に対する驚異と感激の心とで胸が一杯であった。二人はすべてを忘れて、感激の涙にむせび合った。