石破茂です。
さる7日午後から8日午前中にかけて、10月22日投開票の参議院徳島・高知合区選挙区補欠選挙の応援で高知県安芸市、南国市、高知市へ行ってまいりました。

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自民党公認・公明党推薦の西内健候補は1967年生まれ、慶應義塾大学法学部法律学科の後輩で、三越に勤務した後、地元に帰り民間企業に勤務、四期にわたり高知県議会議員を務め、自民党県連幹事長など要職を歴任した後、今回の補選に立候補しています。演説の内容も立派で論旨も極めて理路整然としており、当選すれば良い議員として活躍することと思います。
自民党議員の不祥事による辞職に伴うもので、当然まずお詫びから話を始めなければならないのが辛いところですが、様々な困難な状況を乗り切って当選してもらいたいものです。高知・徳島合区選挙区の皆様、どうかよろしくお願い申し上げます。
「この海を渡ったら朝鮮半島」という我々山陰と「この海の向こうはアメリカぜよ」という高知とは多くの点で対極的なのですが、亡父が旧制高知高校出身だったこともあって、強いシンパシーを感じています。
旧制松江高校、旧制姫路高校、旧制第六高校(岡山)と、近隣県にも旧制高校はあったのですが、「とにかく雪のないところに行きたかった」というのが高知高校に行った動機だったのだそうで、亡くなるひと月ほど前の昭和56年8月、風呂に入りながら「よさこい節」を歌っていたのが、私が父の歌を聞いた最初で最後の機会でした。人生の最後を間近にして、高知で過ごした青春の思い出に浸っていたのかもしれません。
かつて南国市に所在した旧海軍航空隊の跡は現在、高知龍馬空港になっていますが、海軍の零戦、陸軍の「隼」や「飛燕」など戦闘機の多くを特攻作戦に投入したために残存戦闘機が少なくなり、ついには武装もほとんど搭載されていない練習機「白菊」まで特攻機として沖縄方面に突入させることとなり、その搭乗員はまだ17、8歳の若者であったそうです。
250㎏爆弾を両翼下に装着した為に速度は180㎞しか出ず、鹿屋基地経由で出撃した白菊隊は夜間に低空から敵の意表を突く形で突入し、当初はある程度の戦果を挙げたものの、その後やすやすと撃墜され、26機52名の若者が沖縄の空に散華したとのことです。忠魂碑の建つ龍馬空港近くには航空機の掩体(えんたい)壕が残されており、戦争の悲惨さを今に伝えています。