世のあらゆる事は人間が生み出し人間が行っているわけですから、自分自身を含め人間というものを知らずして大した事は成し得ません。中国古典で言う「自得…じとく:本当の自分、絶対的な自己を掴む」、仏教で言う「見性…けんしょう:心の奥深くに潜む自身の本来の姿を見極める」こそが正に、本当の明徳であり明であります。「自らを知る者は明なり」と述べた老子のみならず、ソクラテスも『アポロン神殿の柱に刻まれていた「汝自身を知れ」の言葉を自身の哲学活動の根底におき、探求した』とされていますし、ゲーテも「人生は自分探しの旅だ」と言っています。自己を得ること程難しいことはなく、又それが如何に重要であるかは、古今東西を問わず先哲が諭している所です。明ということは、より良き人生を送る鍵であり事柄全ての出発点になるのです。
最後に、安岡先生の御著書『人間としての成長』より次の言葉を御紹介し、本ブログの締めと致します――ヨーロッパ精神とは何だ、というようなことをつきつめてゆくと、古今東西変わったものではない、一如であります。禅とか陽明学とか言っても、何も珍しいことではない、ありふれたことなのです。それは本当の人間になることである、本当の人間を知ることである。ということは本当の自分を知ることであり、本当の自分をつくることである。本当の自分を知り、本当の自分をつくれる人であって、初めて人を知ることができる、人をつくることができる。国を知り、国をつくることもできる。世界を知り、世界をつくる事もできる。
編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2023年10月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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