繰り返すが、信者の自由意志によって届けられる献金であるなら、それは思想信条の自由の範疇で、なんら問題視されるものではないが、仮に形而上の問題を取り上げて、「献金すればその形而上の問題が解決する」と広宣流布することが問題なのだ。形而上の問題と形而下の行動を結びつける科学的根拠は何もない。

宗教なので形而上の問題を取り上げるのは、当たり前と言えば当たり前なのだが、形而下のお金を結びつけるところに問題があるのだ。

各宗教ごとにその論調は様々だが、そのほとんどがこの現世を良い世界にするためには金がいるという一点に帰結する。つまり、形而上の魂とか霊とか罪穢れと行ったものを形而下のお金に置き換えて、罪滅しのために苦しめと言ってるのだ。それによって霊の曇りだの罪穢れだの先祖の悪行が抹消されるというのだ。これを常人の感覚で見れば「なぜ?」と思えるのだが、そこが宗教の怖いところで、いろいろな形で洗脳されてしまうが故に、ついコロッと騙されてしまう。

例えば前世なり先祖なりが人を苦しめたとして、それを今生の自分が反省しているというなら、何に使われるか分からない宗教団体に寄付するくらいなら、人道支援してる団体や国際機関に寄付する方が、よほど為になる。使われる先がはっきりしているからだ。そちらの方がよっぽど人助けになるだろう。

この献金しないと自分は地獄に落ちるかもしれないという恐怖信仰で、新興宗教の金集め理論は成り立っている。だから、どの団体も金集めに腐心し、ほぼそれを唯一の事業としている。その金はほとんどの場合、周囲を威圧するかのような神殿の建設や宗教施設の建設に使われる。自分たちの団体の建築物を見よ、すごいだろ?という理屈だ。それだけ立派な建築物を作るのは、それだけ力がある証拠だし、それだけ多くの人が信奉してるから信頼できる宗教だと言わんばかりだ。

キリスト教系だろうと仏教系だろうとイスラム教だろうと、それは全て同じ。

そして新興宗教の99%は、それら歴史の偉人を始祖とし、今世において自分がその任を託されたと言ってる。そしてそれは誰にも証明不可能なことだ。

元大阪の地上げ屋だった池田大作氏も、誰よりも信者を増やし誰よりも金を集め、誰よりもカリスマ性のある話し上手だったことをきっかけに創価学会のトップに上り詰めた。いわば、論功行賞で出世したのだが、更に池田大作氏はお得意の金集めの手法を発揮して、創価学会を現在の状況にまで巨大化させた。世界中にある新興宗教の中でも、その意味では稀有な存在と言える。

ただ冷静な目を持って見ると、池田大作氏の功績は莫大な資金源を使って各国の名誉博士号を買い、日本全国に宗教施設を建設し、公明党を使って国土交通相ポストと公共事業利権を信者に分配しているという点に尽きる。

それは幸福の科学の大川隆法氏にも通じる話だろう。

以後、

・連立政権の意義 ・解散総選挙の大義名分と真の目的とは?

続きはnoteにて(倉沢良弦の「ニュースの裏側」)。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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