- 青春
若い時は輝いているが、年をとるとバカらしくてできないものがある。それが「青春」である。
筆者が実際にやったのは、コールセンター派遣時代に仲間とカラオケで朝まで騒いだり、食べ放題で大食い勝負をしたり、北海道への車中泊の貧乏旅行などである。今は当時に比べてお金も時間も自由になったが、もうやりたいとは思わない。一通り経験してもう飽きてしまったからだ。青春に飽きると次のステージが見えてくる。普通はそうやって人生のエスカレーターを登っていく。
だが人生でこれを取り逃して後悔する人もいる。昔、司法試験浪人で青春も若さもすべてを捨てて20年間くらい頑張り続けたが、40代なかばで夢破れて中年フリーターになったブロガーが話題になったことがある。筆者の家の近所にも境遇の似た医学部受験生がいた。
このブログ、辛い心情を吐露する記事に溢れていたが、中でも印象的だったのが「40代半ばになった今、一番やりたいのは友達と騒いだり遊ぶような青春を謳歌したい」というものだった。誰しも必ず通る青春という花道、脇道にそれてしまうと後から悔やんでも二度と返ってこない後悔する要素になり得るのだ。
- 小説やサブカルを楽しむこと
最後は小説やアニメ、ゲームなどのサブカルを楽しむことである。
年をとっても小説が好きな人はいるので、全員とはいえない。だが、作品によっては若い時の感受性でしか楽しめなくなるものは少なくない。
筆者にとってはそれが小説だった。義務教育時代はほぼ無学だったが、軽い小説を読むのは好きだった。昼間に読み始め、夢中で読んでいて「なんか見づらいな」と気づいたら夜になっていたという経験は何度もあった。小説のゲーム版であるサウンドノベルゲームも有名どころはほとんどプレーしたし、その後の自分の人生の価値観に多大なる影響を受けた経験もした。サブカルについて言えば、漫画、アニメ、ゲームは今でも好きでかなりやっている方である。
しかし、年を取って楽しめる作品や範囲は結構狭まってしまったと感じる。過去記事、36歳のオタクが急に趣味にハマれなくなった話にも書いたが、若い頃は同い年くらいの登場人物に共感していたのだが、今の年になると登場人物の親側の心情に共感してしまうように変化した。加齢や人生経験によって失われた感受性は、もはや二度と回復することはないのである。
だから世の中の不条理や不文律などを経験、理解する前に小説やサブカル作品は目一杯楽しんでおいた方がいい。自分は人生前半に勉強そっちのけで存分に楽しんだので良かったと思っている。もう悔いはない。勉強はいつからでもできるが、エンタメはそうではないからだ。
◇
今回は若い頃にしかできないことを取り上げたが、これ以外はたくさんある。遊びとか仕事、人間関係はその気になればいくらでも新規開拓できる。後から悔いが残らないよう、その時にしか楽しめない要素は精一杯楽しんでおくべきだと思うのだ。
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