孔子曰く弟子に「顔回なる者あり、(中略)過ちを弐(ふたた)びせず」(雍也第六の三)と評しているように、決して同じ過ちを犯さなかった彼は普通の人間ではないでしょう。しかし我々凡人はごく普通に過ち、又それを繰り返すことすらあります。「あぁ間違っていた。あなたの方が正しいわ」と心底思って素直に伝えるようであれば、二度と同じように過たず自分自身の進化に繋げて行くことも出来るでしょう。勿論そこには、深い反省および厳たる誓いが求められます。「過ちて改めざる」ことこそが、本当に恥ずべき過ちなのです。

最後に一言、自分の過ちに気付けない人につき述べておきます。此の世の中、何遍教えても分からない人は現実に沢山います。「自分を育てるものは結局自分である」とは、明治から昭和の国語教育者・芦田惠之助先生の言です。自分が不断に修養し続けることが全てであり、先ずは自分自身で己の過ちに気付かなければ如何ともしようも無いでしょう。周りの人はそのサポートに徹するのが良いでしょう。

編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2023年10月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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