さすがに反統一教会は解散命令発動後も旧統一教会が存続する事実はあまりにもみっともないことと自覚したのか任意団体化した旧統一教会を規制する新法制定を主張し始めている。これは解散命令を発動しても高額献金・霊感商法のリスクは解消されないと認めているようなものである。

とってつけたように旧オウム真理教を対象に制定された団体規制法の例を挙げているが、もちろんこれはミスリードである。

団体規制法は「宗教団体としてオウム」ではなく「テロ団体としてオウム」を規制しているのである。「オウムは規制したのだから旧統一教会も」という主張はあり得ない。

昨年7月8日以降、旧統一教会を攻撃するためならまさに「何をしてもいい」という過激な世論が形成されている。それは旧統一教会信者を憲法の対象外とする運動といっても過言ではない。

私はこういう世論を批判する。感情を包み隠さず言えば私は旧統一教会批判には「卑しさ」すら感じる。

こう主張すると「お前は何者か。旧統一教会の信者か」と批判されるが、もちろん筆者は旧統一教会の信者でも関係者でもない。自民党員でもない。

筆者が反統一教会を批判する理由は筆者自身の人権を守るためである。特定集団を憲法の対象外とする運動が筆者に矛先を向けない保障などなにもない。

旧統一教会報道では「高額献金した信者」や「宗教2世の人権」などの「他人の人権」を擁護するために皆熱心に議論し何かしらの規制の必要性を説いているわけだが、その規制が「自分の人権」にどの程度影響するのかという意識はほとんどなく、結果として旧統一教会信者を憲法の対象外とする運動を招来するという悲喜劇を演じ、人権擁護から大きく逸脱している。

人権擁護とは「他人の人権」だけではなく「自分の人権」を擁護する意識があって成立する。

「旧統一教会に関する人権問題」の解決を願う者は筆者と同じく「自分の人権」を擁護する視点をもつべきであり、この視点を持てない者が「特定集団を憲法の対象外とする運動」という人権剥奪権力を招来している事実は強調されるべきだろう。

人権剥奪権力は異常であり、カルト権力と言い換えても良い。

カルト批判がカルト権力を招来している。これが紛れもない今の日本の姿である。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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