風見鶏とは、風の向きを知るための道具「風向計」の一種です。 そして、周囲の意見に左右されて右往左往する人を揶揄する言葉としても用いられます。

ではなぜ、風向計がニワトリをかたどっているのでしょうか? また、どんな人に使うの言葉なのでしょうか?

そこでここでは、「風見鶏」について解説します。

目次
風見鶏とは
風見鶏と呼ばれる人はどんな人?
風見鶏の類義語
まとめ

風見鶏とは

「風見鶏」とはどんな意味?その由来や類義語を解説!!
(画像=『FUNDO』より 引用)

風見鶏とは、西洋の教会や住居などで見られるニワトリなどを象った風向計の事です。 まずは、風見鶏がどのようなものなのかを見ていきましょう!

風向きを確認する風見鶏

風見鶏は、建物や乗り物などに設置されている風向計の一種です。 風向計とは、風向きを知るための道具であり、天気予報の一環として風向きをチェックする目的で風通しのいい場所に設置されています。

その形は、ニワトリをかたどっているものが主流となっています。 ニワトリが常に風に向くよう頭と尾の風の当たる部分をわざと不均衡になるように作られています。

風向きが天候と深い関係を持っていることから、海外では「Weathercock(ウェザーコック)」と呼ばれています。 また、実生活の中の利だけではなく、魔除けのために設置されていることもあります。

なぜニワトリをかたどっているの?

では、なぜ風見鶏はニワトリをかたどっているのか。 それは、キリストの最初の弟子ペテロとの逸話から来ているとされています。


いわゆる「最後の晩餐」の後、キリストは捕縛されてしまいます。

その際、弟子たちは散り散りになるのですが、キリストの弟子の中でもリーダーでもあったペトロは「あなたはキリストの関係者ですか?」と三度ほど声をかけられることもありました。 その質問には全て「いいえ、私は彼なぞ知りません」と返していたのですが、三度目の否定をした時、ちょうどニワトリが鳴いたのです。

ニワトリの鳴き声を聞き、ペトロは思い出します。 最後の晩餐の際、師であるキリストに「君はこの後、三度にわたり『キリストなど知らない』と言うだろうと」と声をかけられていたことを。 その際は、「私はあなたと共に死ぬ覚悟があります。決してあなたを知らないなどという事はありません」と答えていましたが、実際のところはどうでしょう。 キリストの予言通り、ペトロは三度にわたり、キリストを知らないと発言してしまっていたではないですか。

自分の行いを恥じたペトロはショックのあまり泣き崩れ、そして改めてどのようなことがあろうともキリストの弟子であり続けることを誓うのです。 この後、ペトロは様々な迫害や苦難にみまわれるのですが、それらを乗り越えてキリスト教の布教のために活動を続け、現在は初代ローマ法王とされています。

そして、ペトロを目覚めさせることでキリスト教の発展に貢献したニワトリは、悪魔や邪念を払う存在とされるようになりました。 この逸話からニワトリをモチーフにした風向計として、風見鶏が使われるようになったのだとか。

風見鶏の歴史

風見鶏いわゆる風向計の歴史は長く、紀元前1世紀ごろに作られたアテナイにあった風の塔の海神トリトンの像が世界最古の風向計とされています。 教会の風向計の定番が風見鶏になったのは9世紀ごろとされます。

当時の教皇、ニコラウス1世が教会に風見鶏をつけることを法令で決めたことで教会を中心に普及しました。

風見鶏と呼ばれる人はどんな人?

「風見鶏」とはどんな意味?その由来や類義語を解説!!
(画像=『FUNDO』より 引用)

風見鶏は風向計だけではなく、どっちつかずで人の意見にばかり従っている人のことを比喩する言葉としても使われています。 ここからは、人物評に用いられる「風見鶏」という語句について見ていきましょう。

主体性が無い人を指す「風見鶏」

風見鶏という言葉は、主体性がない人を指す言葉です。 自分の意見がなく、その時々の周囲の状況に合わせて優勢な意見など都合のよい立ち位置に移動する人のことを指します。

自分にとって有利となる選択ばかりしますが、結局は自分の意見がないために信用されることはなく、不利な状況に追い込まれることもあります。 そのため、皮肉を込められて「風見鶏」と揶揄されることもあります。

旧来の意味の「風見鶏」

もともと、風見鶏という言葉は風に向かって雄々しく立つという肯定的な意味で用いられていたそうです。 逆風でも姿勢を変えない、不屈な人というと現在の意味とは真逆になりますね。

意味合いが変化したのは政治家への言葉

ではなぜ、意味合いが変化してしまったのかというと、そこには政治家へ放たれた言葉が関係しているとされています。

それは戦後の日本政界でのこと。 ある時、当時の総理大臣である中曽根康弘に対し「風向き次第で態度がすぐ変わる風見鶏」という揶揄がされました。 そこから、日和見主義といった意味合いで使われるようになったとされています。

立場や状況によって態度がすぐ変わる、と政治家を批判した際に「風見鶏」と呼んだため、大きく意味が変わってしまったのです。