純血でありながら傍流?という微妙な立場

そもそも日産がなぜフェアレディZを作ったかといえば、北米日産がダットサン・スポーツ1000(1959年)に始まり、最終型のSR311型「ダットサン・フェアレディ2000」(1967年)へ至るスポーツカーの後継車を、強く望んだからです。
フェアレディは見た目こそヨーロピアンスタイルのカッコいいオープンスポーツでしたが、元がトラック用のラダーフレームへハイパワーエンジンで無理やり走るようなクルマでしたから、フェアレディ2000ではもうジャジャ馬、ピュアスポーツとしてはもう限界。
しかも1960年代後半の北米ではクローズドボディやタルガトップ、2+2シート、ラゲッジに荷物を積みやすいテールゲートを持つファストバックスタイルが主流…ジャガーEタイプやポルシェ911のようなクルマが、日産にも求められたわけです。
ただし問題は「北米日産の要望」だったことで、北米日産とは「ミスターK」とも言われた片山 豊 氏が、日本本国の日産本社の言うことを全く聞かずに行ったアレコレで大発展した組織であり、日産本社からすれば「憎いけど実績を上げたから何も言えない」存在。
フェアレディZも片山氏の主導で、フェアレディのままでいいと思っていた日産本社を説き伏せて開発したら、これがまた「Z(ズィー)カー」として北米では多数の熱狂的ファンを生む、超大ヒット!…当然、日産本社は面白くありませんが、売れたので仕方ないのです。
日産中興の祖と言ってよいほどの功績を上げた片山氏でしたが、帰国後は日産の中枢で活躍するでもなく不遇の扱いを受け、フェアレディZも北米だけでなく日本でも売れながら、何となく歴代モデルは煮えきらない扱いをされ続けました。
日産純血のスポーツカーでありながら傍流、売れるから仕方なくという感じで継子扱いされた初代S30型フェアレディZ。
現在のRZ34型が「なんでみんな欲しいのに、ちゃんと売ってくれないの?」という扱いをされているのは、そうした歴史の怨念、あるいは亡霊の影響がまだ日産に残っているから…と思うのは、考え過ぎでしょうか?
※この記事内で使用している画像の著作者情報は、公開日時点のものです。
文・MOBY編集部/提供元・MOBY
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