カトリック教会の場合、「神聖な教会の名誉を守る」といった動機が強かった。一方、ジャニーズ事務所の場合、ビジネスの経営を守るため、といった理由が大きかったのではないか。もう少し厳密にいえば、カトリック教会の場合、教会の名誉というより、教会指導者の名誉を守るためであり、ジャニーズ事務所の場合、ビジネスで多大な利益を得ていた会社責任者を守るため、という理由が大きかったはずだ。

ちなみに、カトリック教会には、聖職者の未成年者への性的虐待事件を隠ぺいする組織的メカニズムが存在している。「告白の守秘義務」だ。欧州のカトリック教国フランスで2021年10月5日、1950年から2020年の70年間、少なくとも3000人の聖職者、神父、修道院関係者が約21万6000人の未成年者への性的虐待を行っていたこと、教会関連内の施設での性犯罪件数を加えると、被害者総数は約33万人に上るという報告書が発表されたことがある。それを通じて、教会上層部が性犯罪を犯した聖職者を「告白の守秘義務」という名目のもとで隠蔽してきた実態が明らかになり、聖職者の「告白の守秘義務」を撤回すべきだという声が高まっている。

未成年者に対して性的虐待を犯した聖職者が上司の司教に罪の告白をした場合、告白を聞いた司教はその内容を第3者に絶対に口外してはならない。その結果、聖職者の性犯罪は隠蔽されることになる。バチカンの基本的立場は明確だ。赦しのサクラメント(秘跡)は完全であり、傷つけられないもので、神性の権利に基づく。例外はあり得ない。それは告白者への約束というより、この告白というサクラメントの神性を尊敬するという意味からだ。しかし、聖職者の性犯罪の増加を受け、その「告白の守秘義務」の再考を求める声が出てきているわけだ。

「隠蔽」のルーツを探るために少し、聖書の世界に戻る。

人類最初の「隠蔽」はアダムとエバが「取って食べてはならない」という神の戒めを破り、取って食べたことから始まる。アダムとエバが戒めを破り、取って食べた後、自分たちが裸であることに気が付き、「下部を隠した」と記述されている(創世記第3章)。「取って食べた」ものが果実だったら、人は口を隠すが、アダムとエバはその時、「下部」を隠したというのだ。聖書は「下部」で罪を犯したことを象徴的に記述したわけだ。それ以来、「下部」で行う性行為に対し、人は罪意識を持ったり、恥ずかしさを覚えるようになった。全ての高騰宗教は淫乱を最大の罪にしているのは偶然ではない。そこで罪が始まり、その罪を隠すために「隠蔽」が始まったからだ。

もちろん、金銭問題でも「隠蔽」は行われる。その場合、法的規制や社会の規約に対して「隠蔽」する。一方、「性的問題」での隠蔽は先ず、人が継承してきた「罪意識」から逃れようとすることから始まる。換言すれば、アダムとエバの末裔の私たちは「隠蔽する存在だ」といえるわけだ。

参考までに、故ジャニー喜多川の性加害事件は2つの「隠蔽」が混ざっている。ジャニーズ事務所関係者の「隠蔽」は金銭分野に関連する行為であり、故ジャニー喜多川の場合、自身の特異な性向に対する「隠蔽」だ。2つの「隠蔽」が連携していたこともあって、久しく事件は発覚せず、被害者だけが増えていったわけだ。

ボリビアの詩人フランツ・タマーヨは、「究極の悪は、悪を見ていながら、口に出して言わないことだ」と述べている。未成年者への性的虐待を犯した聖職者や人間を見ながら、口に出して言わない「隠蔽」行為は究極の悪というわけだ。

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年9月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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