大正時代の大予言者と忍者の末裔
実は、これとそっくり同じトリックを用いて予言者を演じていた人物が、なんと大正時代の日本にいた。その人物の名は西田香峰。自ら梵名(ぼんめい、サンスクリット語の名前)として「アウンバラマ」を名乗っていた。

(画像=『最後の忍者どろんろん」より引用、『TOCANA』より 引用)
大正8年、『最後の忍者どろんろん』(新風舎)の著者で、甲賀忍者の末裔を自称する藤田西湖は、21歳の時にアウンバラマと対面している。当時のアウンバラマは、雑司ヶ谷(東京都豊島区)に大邸宅を構えており、年の頃は50あまり、ヤギひげをたくわえ金縁眼鏡をかけており、背は1.64mくらい、他方体重は75kgはあろうかという脂ぎった男だったという。つねに紫の衣を身に着け、ダイヤモンドをちりばめた金の冠をかぶり、自ら仏陀や如来の化身を称していた。
アウンバラマの邸宅には、朝早くから大勢の書生や信者、来客が詰めかけていたが、アウンバラマ本人は毎日十時頃まで朝寝をしており、その頃やっと起きだして信者の前に姿を見せるのだ。
信者たちは大体、その日の新聞記事を話題にして話し合っているのだが、たとえば明治42年10月27日、日本の初代総理大臣、伊藤博文がハルビンで安重根に暗殺されたという記事が載ったとき、おもむろに姿を見せたアウンバラマは書生に言い放った。
「4年前の10月の日記を持ってこい」
書生がアウンバラマの日記帳をうやうやしく捧げてくると、まずは表紙に記された「明治38年記」という年号をその場にいる全員に示してページをめくり、
「それ、この通り書いてある。……伊藤公は明治42年10月26日午前9時、外国に於いて凶変にたおるべし」
と述べると、そのページをまた全員に示した。