リアルの場での親切の押しつけ

インターネット空間だけでなく、リアルの場でもおせっかいや親切の押しつけに困ってしまうことがある。

初対面の人たちが集まる場に身を置くことがある。それは親戚や学校の保護者の集まりだったり、趣味のイベント交流の場だったりする。こうした場で目立たず、できるだけ静かに過ごしたい感覚の持ち主がいる。筆者自身もそうだ。

だが、「はみ出し者を出さないように」という取り計らいなのか、全員に積極参加を促すことに張り切る人がいる。「こちらの方はこういう仕事で活躍されています。スマホで検索したら色々出てきますよ!」などと紹介されて内心困ったと感じた経験があった。このような紹介を受けて、まるで立派な人であるかのような先入観を周囲に持たれてしまうと自然な会話をしづらくなるからだ。こういった行為は親切心からとはわかっていてもおせっかいに感じてしまう。

相手のニーズが分かるまで何もしない

個人的に心がけているのは、相手が求めることがハッキリ分かるまでは下手に手を出さないということである。そういう意味では自分はまったく親切な人ではないのだが、相手をそっとしておくというのもある種の親切になるのではないかと思っている。

聞いてもないのにあれこれ知識を一方的に教えたがる人が世の中にいるが、この場合も相手から質問されるまでは何もしない方が良いだろう。明らかに情報不足で困っている様子を確認したら、そこで始めて手を差し伸べるというイメージである。相手からの積極的な関わりを喜ぶ人も一定数いるかも知れないが、それ以上の数のおせっかいを鬱陶しく感じる人もいるのだ。ならむやみに手を出さない方が合理的な選択と言える。

現代社会は価値観があまりにも多様なので、自分なりに良かれと思って手を差し伸べる行為が逆に相手にとって迷惑になることも少なくない。線引が難しいところではあるが、押し付けにならないようにしたいものである。

 

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