<TOP画像:戦国時代の名将"織田信長">
日本の歴史上の人物で最も人気のある武将の1人"織田信長"。奇行の多さから大うつけと冷やかされた青年時代。天下布武を掲げ次々と強敵を倒し支配を広げる強さと頭脳。残虐とも言われる一方、民衆のために尽くした一面もあり、その人間性にもどの時代の多くの人々が魅了されるのでしょう。そして、天下統一を目前としたその最期が京都の本能寺だったことはあまりにも有名です。
テレビ、映画に幾度となく登場する戦国時代の大舞台"本能寺"をご紹介します。
目次
戦国時代の大舞台となった本能寺
信長公ゆかりの品々が展示される「大寶殿」
戦国時代の大舞台となった本能寺
本能寺はJR京都駅から地下鉄烏丸線で「烏丸御池」で東西線に乗り換えて「京都市役所前」で下車し徒歩数分の場所、寺町アーケードという商店街を入って直ぐの場所にあります。
1582年6月21日に家臣の明智光秀が突然謀反をおこし、織田信長が無念の自刃に至った当時の本能寺は実際にはこの場所ではなく、ここから西南に約1.5㎞ほどの場所にありました。当時は都で随一の広さを誇る、信長公が定宿にするにふさわしい大寺院でしたが、本能寺の変で焼失してしまったことから、翌年、豊臣秀吉の命により現在の場所に再建されたのです。
「本能寺の変」としては有名ですが、ここが法華宗大本山という仏教の1つの宗派の本山であることはあまり知らせていないかもしれません。法華宗とは、1253年に日蓮聖人が「南無妙法蓮華経」を唱えられたときに始まり、法華経に基づいての信心をすすめている、歴史ある由緒正しき宗派であり、全国に四つある大本山の1つがここ京都の本能寺なのです。
総門には「贈正一位織田信長公御廟所」との石碑があり、ここに信長公の墓所があることが示されています。右の「立正安国」とは日蓮聖人が大切な教え説いている姿を現しております。本堂は178坪の大きさ。「日蓮聖人」の像は本能寺の変以前からあるのです。
信長公ゆかりの品々が展示される「大寶殿」
大寶殿には本能寺にまつわる宝物が多数展示されております。信長公の絵図や信長公が集めた茶道具類、本能寺の変の前夜に鳴いて危険を知らせたという「三足の蛙」の香炉なども展示されてます。信長公をイメージして明治時代に作られたという鎧兜も見入ってしまいます。
この日は鎌倉時代の名刀"薬研藤四郎"の復元を手に取れる展示会を開催しており、ずっしりとした重みと輝きを実際に感じることができました。この短刀は足利将軍家から松永久秀に奪われ、松永公から織田信長に贈与され本能の変で焼け落ちたとされる説があります。